真貝弥七郎

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山形県・米沢は林泉寺の新貝弥七郎の墓

真貝弥七郎【しんがい やしちろう】…吉良家の家来。元米沢藩士。吉良義周の小姓。


講談「潮田又之丞」では根性の悪い、はなはだよくないやつとされている。

潮田又之丞と一騎打ちの最中「これはシンガイ」とダジャレを言ってるスキに斬られるが、三波春夫先生は講談「義士討ち入り」(先生がおかきになった?)の中で小野寺幸右衛門に斬られたと語る。

講談本には新見弥七郎(にいみ やしちろう)なる人物も出てくるが明らかに真貝弥七郎のアレンジ。


勇ましく戦ったサマが小林平八郎や清水一学のモデルとなったとされているが、実際は真っ先に浪士と玄関で鉢合わせて、早々にお腹を槍で突かれて股などを斬られて死亡。遺体からは折れた槍の切っ先が出てきたと言う。


新見弥七郎


享年40