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蕎麦屋

188 バイト除去, 2021年5月3日 (月) 21:56
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このそばやシークエンスは「泉岳寺書上(かきあげ)」なる、討ち入りからだいぶあとに登場したあやしげな文書に「両国橋の楠屋十兵衛で手打ちそばを食べた」と書かれていたのがきっかけで膨らんでいったそうで、実際は「手打ちそば」はこの時代に無かったというし、当時はお店も浪曲「[[俵星玄蕃]]」に出てくる[[杉野十平次]]のような「振り売り」スタイルが主流だったそうである。
もっと言うと、この当時「そば」と言えばそば粉を練ったかたまりの「そばがき」の時代。もっと言うと、この当時「そば」と言えばそば粉を練ったかたまり(そばがき)を包丁でそいだような「そばきり」の時代。<small>(註01)</small>
というわけで、四十七士全員を温かいかけそばでもてなす、くすやの存在は果てしなくフィクション。
註釈01…でも、現存する赤穂時代の註釈01…現存する赤穂時代の[[大石りく|りくさん]]の手紙に「[[大石内蔵助|宅の]]がほんとにそばが好きなんで、送ってくださらない?最近は細く柔らかく打って食べるのがマイブームみたい」(アレンジ>もりい)という内容があるそうです。(「忠臣蔵を生きた女」瀬戸谷 晧) 
「麺」とまではいかないまでも、そばのかたまりを細めに切って食べるそばきりは、慶長年間に登場しているらしく、元禄時代はこっちも庶民には主流。 とにかく、ズルズルすすって食べる、おなじみの形になるのは江戸後期からだとか。ズルズルすすって食べる、おなじみの形になるのは江戸後期からだとか。

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