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大石内蔵助は、[[垣見五郎兵衛]]でも[[立花左近]]でもない、尾花光忠という、忠臣蔵ファンには聴いたこともない人物の名を語って東下りをするのだが、本物の尾花光忠が現れて「いつもの」パターンになるのではなく、尾花と面識のある地元の役人が会いに来る。これを宿屋の主人であるモリシゲが間に入って、大石に会わせまいとするのだが、その手管(実際にご覧になってご確認ください)と、大石をかばおうとする根拠が、ちょっと弱い。(やはり、「大石東下り」は、似た風格の武士ふたりの短い対決が見もののシーンなのであります。)
そればかりではなく、本作には「あ、この後、なんかあったな」と想像させる、役者がセリフを言おうと息を呑んだところでカットになるシーンも少なくなく、逆に、たとえば安兵衛が玄蕃を酔い潰そうとしたであるとか、そのとき赤穂浪人の悪口を言ったであるとか、セリフだけでは不自然な、「この前になんかあったな?」と思わせるシーンもある。南部坂の三次浅野家屋敷内には侍女に藤山陽子がいるが、いるだけでセリフが無いし(ま、この人は黙ってたほうがいいのかも…w)。適度なランニングタイムにするために相当な削除がなされていると想像できる。
<附言>…2022年7月。国立映画アーカイブ(長瀬記念ホール ozu)の「東宝の90年 モダンと革新の映画史」で上映されたとき、ほかの観客(東宝映画やスターをこころえていて、金語楼や脱線トリオが出てくるだけで笑える世代)と一緒に見ていると、このシーンの印象はかなり違った。「森繁が"東下りみたいなことをしている"」ということで用意されたシチュエーションを観客は素直に受け入れ、忠臣蔵的な理屈を超越したなにかが場内で成立していた。これはお茶の間でDVDで見ているだけでは見つからない機能である。(あと、旭堂南湖先生の「大石東下り」に近衛関白の直筆、というものが権威あるアイテムとして登場してたんで、この映画のシチュエーションもあながち「設定が甘い」などと言えないのかも)