三村次郎左衛門
三村次郎左衛門(みむら じろうざえもん)…ロウワー下男キャラ。江戸出身。勝手方料理人。色の黒いチンチクリン。
寺坂吉右衛門を除けば四十七士の中では最も身分が低いパシリだが母想いで忠義に熱い。
台所役という身分がなんぼか知らぬが徹底して仲間からうとんじられていたとか。
江戸表大変の際、評定に加えてもらおうと手をついて願い出たが奥野将監がカラカラ笑いながら「なんじらごとき少給者、とるにたらざる身分をもって、かかる大変の場合に我々の身体を共にするなどと申すは高言なり!」とバカにされたがキレて「いま一言おうせられよ!」と鯉口を切りジリッジリ!
すると内蔵助が「あっぱれ。見上げた根性!少給者でも列座オッケー!末席だけど」と許可した。(評定の際、身分差別を受けるシーンは松方版「大忠臣蔵」にもある。「忠臣蔵 桜花の巻 菊花の巻」では右衛門七と共に評定の列席を願い出るシーンがある。)
赤穂退城のあとも内蔵助のそばにいたが、浪士仲間と口論になるとすぐ「世にあるときならお前みたいな少給者が我々にそんな口答え、無礼千万なる一言!」と言われお気の毒。それでも本人は笑って受け流す。
江戸下向の後、根津の植木屋・源蔵(親代々から知り合い)のところへ就職。やらせてみると植木の腕は玄人はだし。さっそく嘉兵衛という名で植木屋デビュー。駿河台の現場で「吉良邸は手間賃が安い」などのうわさ話が出たため、吉良邸出入りの親方を紹介してもらう。紹介してもらった藤兵衛は嘉兵衛(三村)をたいそう気に入り養子にほしがるほど。ある日念願カナって吉良邸で仕事をしてると上野介の無事を目視で確認。うれし涙を流しながら植木仕事をするを小林平八郎が不審がり(そりゃそうだ)、出入り禁止とする。これをキッカケに嘉兵衛(三村)退職。
すぐに本石町2丁目の垣見五郎兵衛(内蔵助)に、吉良存命&小林平八郎油断無きことを報告した。
討ち入り後のパレードで藤兵衛と再会。三村は銀短冊、呼び子の笛を渡し、ひとつを源蔵に渡してくれとたのんで別れる。
別に薪割り屋の逸話もある。薪割り屋の次郎兵衛(通称マキジロ)に身分を隠した三村は、身分の低い薪割りのわりには折り目正しく刀に目が利くのでクライアントの本所緑町の刀研ぎ屋主人の竹屋喜平次に気に入られる。店の木の看板に文字を書いてあげる(耳あかを墨に混ぜるとにじまないというトリビアを披露)。形見に祐定(すけさだ)の刀。
落語にも「滑稽義士」といって三代目三遊亭円遊の口演速記が残っており、刀研ぎの小竹屋喜平次と三村(あくまで武士言葉の滑稽な態度のでかい薪割り)の飲み仲間としての二人の深い友情が膨らんでいる。
ここではお別れに三村が討ち入りの晩に喜平次に世話になったお礼にと七匁(もんめ)五分出す。「失礼さまながらお礼が少ないようでございます。それでも赤穂の義士で?」「なぁにわたしはアホウの二朱だ」
以上のようにこの「三村の薪わり」というのは講談、浪曲、落語にバージョンがあるが、似たような内容で浪曲「江戸の雪晴れ」「風流形見の短冊」という村松三太夫のエピソードもある。
討ち入りのときに裏門をかけやでぶち破った人。
享年37。