原惣右衛門

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役者絵:伊東 四朗

原惣右衛門【はら そうえもん】…アクティブ壮年キャラ。足軽頭。

参謀。江戸勤務。くちぐせ「ほどよくいたしましょう」。

事件のとき伝奏屋敷(宿舎)からの退去の指揮をとり、手際のよさに幕府の目付は感心したという。

事件速報の第1便から15時間後の第2便。早駕篭でこの人が直々に来たんで赤穂では「ただ事ではない」と察知する演出もある。江戸の大事を早駕籠で伝えたのは4人になるが、赤穂に着いたときみんなヘトヘトだったがこの原さんだけはシャンとしていたという。


若いころは丹波の国の山家(やまが)で諸国を回る武芸者が来てはナンパして剣術を教えてもらっていたが、グングン腕を上げてすっかり天狗になっていたころ平賀弥左衛門入道新齋という坊主にすっかり天狗の鼻をへし折られ5年の間、新齋について修行をした。

しかし大阪で新齋が宿屋で病に伏せったまま死亡。その宿屋の好意で寄食をしていたある夏の日、川で泳いでいて赤穂の城主・浅野長友候が突風にあおられて川に落とした笠を拾ってあげたのがきっかけに浅野家に召し抱えられた。


お家大変のあと、江戸ではヤスベエとともに急進派となる(落ち着けと言いにいったのに丸め込まれた)。

母親と共に大阪に住んでいたが、計画を打ち明けられた母が惣右衛門の江戸下向の際、自分が息子の働きの妨げになってはいけないと自殺。惣右衛門、滝のように涙を流していたが「これも吉良上野介がなすワザかっ」とあらためて心を決する。


討ち入りでは母親の遺書を懐中に入れて、内蔵助を助けて司令にあたった。

邸内侵入の際に屋根から滑って足を捻挫したため、泉岳寺への引き上げの際は駕籠。

松の廊下事件以降ずっと、けっこうよく働いてるイメージの人。副頭領。


映像化される際、岩みたいな顔のおじさん俳優がキャスティングされるイメージがあり、カッとなりやすいガミガミオヤジ風に演出されることがある。


享年56。