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失恋でへこんでいた其角はこれをきっかけに事件を美談の芝居にしようと奮起し、上方の近松門左衛門に会いにいく。失恋でへこんでいた其角はこれをきっかけに事件を美談の芝居にしようと奮起し、上方の[[近松門左衛門]]に会いにいく。
とどのつまり、これは「つかファン向け」で「大衆向け」ではない。とどのつまり、これは「つかファン向け」であって、「大衆向け」ではない。
あとで考えると彼女だけ「忠臣蔵」していたからだと思う。ヒイキにとってはどんなよくできた作品でも結局「忠臣蔵をやってる」部分がパーッと映えて見えるのだ。たとえば「あとで考えるとその理由は、彼女だけ「忠臣蔵していた」からだと思う(忠臣蔵ファンが愛している虚像)。 ヒイキにとってはどんなよくできた作品でも結局「忠臣蔵をやってる」部分がパーッと映えて見えるのだ。たとえば「[[薄桜記]]」も傑作だが、結局主役よりも赤穂浪士のカツシン(助演)に涙してしまう。
役者さん達が魅力たっぷりで、ところどころで複数の網タイツのおねえさんが飛び出してくるのでサービスも良い。役者さん達が魅力たっぷりで、ところどころで複数の網タイツのおねえさんが飛び出してくるサービスも良い。
つかさんのオリジナル版では、一応、本寸法の忠臣蔵をまっとうしてるエッセンスが混ざっていて、それはリスペクトのようでもあり、逆に皮肉とも思えたが、新作では「忠臣蔵」より「つかこうへい」をリスペクトしてる感じがした。つかさんのオリジナル版では、一応、本寸法の忠臣蔵をまっとうしてるエッセンスが混ざっていて、それはリスペクトのようでもあり、逆に皮肉とも思えたが、新作では「忠臣蔵」のサタイアというより、「つかこうへい」のリスペクト、という感じがした。
であのう、長尺のお笑いってケガするからやめたほうがいいと思う。個人的見解なのではありますが、お笑いって難しいんです。とにかく。殺陣や着付けといっしょで、絶対に専門家にスーパーバイザーで入ってもらうべき。であのう、長尺のお笑いってケガするから芝居に盛り込むのはやめたほうがいいと思う(今回ソレが足されてた)。個人的見解なのではありますが、お笑いって難しいんです。とにかく。殺陣やダンス、着付けといっしょで、絶対に専門家にスーパーバイザーで入ってもらうべき。絶対ヘンテコリンになるから。
「つか版忠臣蔵」は、演出面や演技面で相当なパワーを持って、有無を言わせず観客をグイグイ引っ張っていかないと、ものすごくほころびが目立つ特徴があるのではないかという印象を、2020年版の若い衆の芝居のおかげで、あらすじが浮き彫りになってそう持った。「つか版忠臣蔵」は、演出面や演技面で相当なパワーを持って、理屈抜きで有無を言わせず観客をグイグイ引っ張っていかないと、スクリプトのほころびが目立つ…という特徴があるのではないかと、2020年版の若い衆の芝居のおかげで、そう思った。
某大学助教授が、テレビ初公開時の「國文學」(s61)に載ってる本作の原作のレビューで「つかこうへいは、井上ひさしのように某大学助教授が、テレビ初公開当時の「國文學」(s61)に寄せた本作の原作のレビューで「つかこうへいは、井上ひさしのように"調べ尽くすことが作品の成り立ちに不可欠"とは、思っていない」<small>註01(註01)</small>「いちいち調べて書いてるようでは、せっかくのナマ物にカビが生えてしまいまんがな…という台詞は作者自身の考え」と概略そのように指摘している。
これをカバーするのが、おっぱい丸出しを含む(<誤解承知)、役者が元気にセリフを言って跳ねまわる(<誤解承知)「いきおい」なんじゃないかと。それがつか作品の魅力というものなんじゃないのかなと。だって、台本は稽古のたびに変わるっていう(まさにナマ物)んだから、40年近く前に出来上がった台本を使った時点で「つか作品」とは言えないのかもしれない。これを成立させているのが、おっぱい丸出しを含む(<誤解承知)、役者が元気にセリフを言って跳ねまわる(<誤解承知)「いきおい」なんじゃないかと。そうしたエネルギーこそが、つか作品の魅力というものなんじゃないのかなと。だって、台本は稽古のたびに変わるっていうんだから(まさにナマ物)、40年近く前に出来上がった台本を使った時点で「つか作品」とは言えないのかもしれない。 空間全部を以って「つか作品」というなら、つかこうへい自身が演出しないと「つか版」という看板は成り立たないんじゃないだろうか。
空間全部で「つか作品」なら、彼が演出しないと成り立たないんじゃないか。Wikiにつか作品の特徴について「場面転換は一切暗転を使わず、突然流れ出す大音量の音楽と歌。それに合わせて突如踊り出す派手なダンス。観客は一瞬何が始まったのかと唖然としている間に次の場面が始まる。」とある。…なるほど。木馬亭のは全ッ然コレじゃなかった。
Wikiにつか作品の特徴について「場面転換は一切暗転を使わず、突然流れ出す大音量の音楽と歌。それに合わせて突如踊り出す派手なダンス。観客は一瞬何が始まったのかと唖然としている間に次の場面が始まる。」とある。なるほど。木馬亭は全然コレじゃなかった。忠臣蔵にハマるまで、芝居を見に出かける習慣がなかったもりいくすおといたしましては、ご存命中に先生の演出した舞台を観られなかったのが、悔やまれる。
忠臣蔵にハマるまで、芝居を見に出かける習慣がなかったもりいくすおといたしましては、ご存命中に先生の演出した舞台を観たかった。(附言:でもなぁ。ご自身でノベルスをリリースされてるからなあ。スクリプトの出来栄えには自信がおありになったって言うことなのかなぁ…。で、本作に関してはコレ、テレビで見るために生まれた作品なんでね。舞台うんぬんは、そんなに追求しなくてもですね。)
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「廊下フェチ」で少し足りない浅野内匠頭が梶川与惣兵衛につきとばされたハズミで小刀を抜いてしまい、そこにいた吉良をケガさせる。江戸在勤の家老・内蔵助は切腹が決まった文盲の内匠頭のために[[宝井其角]]に辞世を依頼する。吉良も赤穂浪士も大間抜けばかり。
この物語は風間杜夫演じる宝井其角(ここでは劇作家)の青春ストーリー。
劇中劇の大石内蔵助=岡本麗が印象によかった。
時代はこのあと、80年代半ばからバブルにかけて小劇団やアングラ演劇の人気がグイグイ出始め、おいやられるように「8時だヨ!全員集合!」や「吉本新喜劇」がすたれてゆく。
[[阿久里/瑤泉院|阿久利]](史実では赤穂に行ったこともない人だが、本作では赤穂と塩をこよなく愛しお家再興の為に奔走し、いろんなヒトとベッドインするのを辞さないキャラとなっている)が大きくクローズアップされ、浪士たちもおもしろく活躍し、笑える部分がすごく多くなってよみがえった作品。
80年代小劇場のオマージュを2012年に持ってくる思い切りはすごいなと思った。
<附言>
2013年に再演、2014年に再々演され、2025年に劇団扉座 第80回公演「つか版・忠臣蔵2025」が上演された。
2回、「長いな」と思う、「コント風シークエンス」がありました。(ひとつは[[吉本オールスター大行進 爆笑!大忠臣蔵|吉本の忠臣蔵]]とネタかぶってたし。<知ってか知らずか…)
でもきっとね、無いと寂しいかったですね。笑えなかったけど、あったほうが、たしかに良い。
== 総括「つか版」について ==
いや、若い衆の芝居(↑上述の木馬亭版)自体は瑞々しくて悪くなかったです。これはマジで。
まったくそのとおりだなと思った。
註01…「[[イヌの仇討]]」を見る限りでは、「」を見る限りでは、ものすごく調べてはいらっしゃるが、「調べ'''調べつくしてるつくしてる'''」とは言えない部分は少なくない。
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1982]]