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假名手本忠臣蔵’61/義士始末記’62

5 バイト除去, 2020年3月19日 (木) 01:29
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{{Cinema|制作=松竹|公開=1961|内蔵助=市川猿之助|星=2|頃=}}
まだ、加筆すると思います…。まだ、加筆中…。
そうそう。それで言うと、オープニングも、オリジナルでは切り絵の背景にスタッフ&キャストの名前がテーマ曲に乗せて入るのだったが、改訂版は音も画も人形浄瑠璃の「仮名手本」の三段目。オーバーラップして北上弥太郎(浅野内匠頭)のアップになる。(撮り直したのか未使用なのかは不明)
で、この再編集によって、オリジナル版よりも本作のほうが映画として、原作の仮名手本忠臣蔵を手軽に楽しめる感じになっているのかなと思いました。この再編集によって、オリジナル版よりも本作のほうが映画として、原作の仮名手本忠臣蔵を手軽に楽しめる感じになっているのかなと思いました。
だけど、オチがないから星2つ。(大石東下りでエンドマーク、びっくりしたわ。)
おかつも、大好きだった先生が切腹を主張したと知って大ショック。悪夢(これは彼女の舞いで表現されるが、これもタップリしている)を見たりする。
けど、あとになって弟は、徂徠先生に感謝し、「さむらい冥利。一同深く感謝しいたしおり候」と、武士として喜んで死んでいったと知り、おかつと先生の仲も直ってめでたしめでたし。(すげーいろいろ端折りました。上記エピソードに吉良家のリンチに遭うけど、あとになって弟は、徂徠先生に感謝し、「さむらい冥利。一同深く感謝しいたしおり候」と、武士として喜んで死んでいったと知り、おかつと先生の仲も直ってめでたしめでたし。(すげーいろいろ端折りました。上記エピソードにところどころ、吉良家のリンチに遭う[[片岡源五右衛門]]や討ち入りが入る。)や討ち入りといった、オリジナルで撮ったやつが入る。)
決して悪くない、好きな作品だが、助命だろうが切腹だろうが、ともかく誰も彼もが赤穂忠臣義士が好きという徹底した壮大な同調現象を「主役」にしてしまったことが、実際に苦悩したであろう幕閣や学者の存在感を無くしてしまった。
竹田出雲が後日談を書くならこうだろうな、とかそういう趣旨でもないから、前後編の意味もよくわからない。竹田出雲が後日談を書くならこうだろうな、とかそういう趣旨でもない。
当時の超人気テレビ番組のコメディアン(石井均や藤田まことの瓦版屋も出るよ)の入れ方や、岡田茉莉子の踊りのシーンの尺から言っても、この作品自体が軸足をどこにもおいてないのがお分かりいただけるかなと思う。

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