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假名手本忠臣蔵’61/義士始末記’62

327 バイト追加, 2020年3月25日 (水) 01:55
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なんで作ったんだろう。
Wikipediaによれば、岡田茉莉子は有馬稲子([[瑤泉院]])と「二枚看板」と言われているが、オリジナルの「大忠臣蔵」が公開当時は、岡田茉莉子は東宝映画在籍だったので不在だった。<small>註02</small>
その後松竹と契約し、小津映画などで活躍した岡田(や、新人の岩下)を、松竹がフィーチャーしようという狙いは、ほんとうにあったのかも。
註01…岩下志麻はこの映画公開の前年にデビューしたそうで(とはいえプレスリリースには「トップスター」とうたっている。ちなみに岡田は「人気最高」で島田は「新国劇の王者」)、本作ではほとんど台詞も無いのに、出てきた3場面は強烈な印象を残す。
 
 
註02…いやでも、オリジナル公開当時の1957年は「東宝との契約問題で話題を集めた岡田茉莉子が大映に初出演」と、映画「[[刃傷未遂]]」(大映映画)のロビーカードにある。いろいろお転婆なエピソードがありそうですわい。

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