10,706
回編集
差分
提供: Kusupedia
細
忠臣蔵映画製作は、その制作会社の力の有り様を鼓舞する目的もあったとする、春日太一先生の言葉を借りると、日活は「そういう元気」がなかったとも受け取れなくもないが、70年代という微妙なときに「戦争と人間」三部作とか作ってるから、やはり敢えて忠臣蔵に手を出さなかったのかなと。(という、勝手な深読み) 忠臣蔵映画製作は、「作り得る撮影所が立派に大人として成長した会社だという証拠」(マキノ省三監督の言葉だったと思うby南部僑一郎「別冊近代映画 昭和34年2月号」)とすると、日活はすでに「そういう元気」が無かったのかとも受け取れなくもないが、70年代という微妙なときに「戦争と人間」三部作とか作ってるから、やはり敢えて忠臣蔵に手を出さなかったのかなと。(という、勝手な深読み)
編集の要約なし
合併前から数えれば、長い歴史を持つ日活が、&戦前まではたくさん忠臣蔵をリリースしてきた日活が、敢えて新時代の発展を意識するように、忠臣蔵を撮らないことで過去との決別を計ったのかもしれない。(という、勝手な深読み)