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山鹿素行

96 バイト追加, 2020年7月7日 (火) 07:18
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山鹿素行【やまが そこう】…赤穂藩士の教育などを行った軍学の先生。儒学者。 山鹿素行【やまが そこう】…赤穂藩士の教育などを行った軍学の先生。儒学者。
三代将軍・家光の師範だったが、家光の死後、赤穂の浅野長直のオファーで一千石で藩に学問師範として迎えられ、8年間軍学や儒学を教えた。(もともと内匠頭のおじい様と師弟関係で、赤穂で仕えていた経験がある。) 三代将軍・家光の師範だったが、家光の死後、赤穂の浅野長直のオファーで一千石で藩に学問師範として迎えられ、8年間軍学や儒学を教えた。(もともと内匠頭のおじい様と師弟関係で、赤穂で仕えていた経験がある。)
その後退職し、江戸に出て民間の学者となる。 その後退職し、江戸に出て民間の学者となる。
そこで反政府的なことを説いて、お上から目を付けられ、赤穂に流刑を言い渡される。 そこで反政府的なことを説いて、お上から目を付けられ、赤穂に流刑を言い渡される。
 [[大石内蔵助]]は若い時、山鹿先生を江戸から護送したことで高名になった(<この部分、浪曲「山鹿護送」「山鹿送り」。実際は配流されたとき内蔵助8歳w。)。
 [[浅野内匠頭]]はこの山鹿先生の「教え」をイデオロギーとして、いちいち「山鹿先生の教えに反する!」とカタイことを言っては元禄流のビジネステクニックを教えようとするはこの山鹿先生の「教え」をイデオロギーとして、いちいち「山鹿先生の教えに反する!」とカタイことを言っては、元禄流のビジネステクニックを教えようとする[[吉良上野介]]から反感を買ったふうな演出がしばしば見られる(「から、反感を買ったふうな演出がしばしば見られる(「[[忠臣蔵 花の巻雪の巻]]」「[[元禄繚乱]]」ほか)。
討ち入りの時に 討ち入りの時に[[大石内蔵助|内蔵助]]が陣太鼓たたいて、眠ってた吉良邸の用人がガバッと起きて耳を澄まし「一打ち二打ち、三流れ…アレは山鹿流の陣太鼓!?」って言ってそばの刀もって飛び出して行くときの「山鹿流の陣太鼓」てのがこの先生流の、という意味。「山鹿流の」って知ってて当たり前みたいに言ってるわりには実在しないので、が陣太鼓たたいて、眠ってた吉良邸の用人がガバッと起きて耳を澄まし「一打ち二打ち、三流れ…アレは山鹿流の陣太鼓!?」って言ってそばの刀もって飛び出して行くときの「山鹿流の陣太鼓」てのがこの先生もちまえの軍学流の、という意味。 「山鹿流の」って知ってて当たり前みたいに言ってるわりには実在しないので、'''ドラマによってリズムとかまちまち'''です。(「七つ七つ三丁陸六つ天地人の乱拍子」というのもある。「[[槍一筋日本晴れ]]」)
 [[浅野内匠頭]]はこの人を尊敬しているが、入門して1年くらいで他界してる。
ドラマに本人が出てくることはまず無い(厳密には「 ドラマに本人が出てくることはまず無い(厳密には「[[元禄繚乱]]」のように時を大きくさかのぼった作品に登場しないこともないが、「山鹿護送」のような大きな扱いでは出てこない。)が、とにかく劇中に名前はよく出てくる。

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