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徳川綱吉

382 バイト追加, 2020年7月13日 (月) 12:51
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自分が主催の、お公家さんを江戸城に迎える大イベントのメインの日に「松の廊下事件」が起き、[[桂昌院|自分のおっかさん]]を女性の最高の位、従一位(じゅいちい)をもらうチャンスをパーにされてブチ切れ、加害者をもらうチャンスをパーにされてブチ切れ、事件の原因が謎のまま、加害者[[浅野内匠頭]]を「即日切腹」にした。(ジュイチイがどうのこうのという話と松の廊下事件とのタイムラグはドラマによってさまざま。)を「即日切腹」にした。<small>(註01)</small>
喧嘩両成敗が鎌倉時代からの慣例なのに片手落ちの裁決ということで赤穂藩士たちは不満に思い、[[浅野内匠頭|殿様]]の鬱憤を晴らす。いっぽう、吉良には寛大な措置を与えてバランスが悪かった。
こうした経緯から近年の映画では討ち入りを「仇討ち」というよりも幕府への「叛逆」の意を込めて描くイメージが見受けられる。喧嘩両成敗が鎌倉時代からの慣例なのに、片手落ちの裁決ということで赤穂藩士たちは不満に思い、[[浅野内匠頭|殿様]]の鬱憤を晴らす。
こうした経緯から、近年の映画では討ち入りを「仇討ち」というよりも幕府への「叛逆」の意を込めて描くイメージが見受けられる。(「[[赤穂城断絶]]」など)
一方で、片落ちの裁定のあと、日が経つにつれてなにを思ったか綱吉は吉良を遠ざけ、赤穂の浪士が市中に入っても黙認する。これは浪士に吉良を討たせやすいようにして天下の慣例を犯したことを糺す気持ちがあったとする解釈をイメージさせるドラマが見られることがある。一方で、片落ちの裁定のあと、日が経つにつれてなにを思ったか綱吉は吉良を遠ざけ、赤穂の浪士が市中に入っても黙認する。これは浪士に吉良を討たせやすいようにして、天下の慣例を犯したことを糺す気持ちがあったとする解釈をイメージさせるドラマが見られることがある。
そもそも徳川家は儒教や忠義を重んじる風潮があり、事件のきっかけを作ったにもかかわらず綱吉は主君のために闘った赤穂浪士に同情し、討ち入りを喜んだという逸話もあるとか。
「あの連中、なんとか助けてやりたいんだけど」(徳川実記)
 
 
動物愛護がすぎて珍法を作り(後年、まとめて生類(しょうるい)憐(あわれ)みの令と呼ばれているアレ)、「犬公方(いぬくぼう)」とあだ名された将軍として有名。
動物愛護がすぎて珍法を作り(後年、まとめて生類(しょうるい)憐(あわれ)みの令と呼ばれているアレ)「犬公方(いぬくぼう)」とあだ名された将軍として有名。インフレになるわ、日食、地震、富士山爆発と、なかなか波乱の多かった将軍。インフレになるわ、日食、地震、富士山爆発と、なかなか波乱の多かった将軍。
「[[元禄繚乱]]」ではショーケンがトリッキーに演じた。
 
 
 
註01…ジュイチイがどうのこうのという話と松の廊下事件とのタイムラグはドラマによってさまざま。実際は、イベントと桂昌院のみくらいの因果関係は無いともされる。
 

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