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徳川綱吉
,編集の要約なし
自分が主催の、お公家さんを江戸城に迎える大イベントのメインの日に「松の廊下事件」が起き、[[桂昌院|自分のおっかさん]]を女性の最高の位、従一位(じゅいちい)をもらうチャンスをパーにされてブチ切れ、加害者をもらうチャンスをパーにされてブチ切れ、事件の原因が謎のまま、加害者[[浅野内匠頭]]を「即日切腹」にした。(ジュイチイがどうのこうのという話と松の廊下事件とのタイムラグはドラマによってさまざま。)を「即日切腹」にした。<small>(註01)</small>
こうした経緯から、近年の映画では討ち入りを「仇討ち」というよりも幕府への「叛逆」の意を込めて描くイメージが見受けられる。(「[[赤穂城断絶]]」など)
そもそも徳川家は儒教や忠義を重んじる風潮があり、事件のきっかけを作ったにもかかわらず綱吉は主君のために闘った赤穂浪士に同情し、討ち入りを喜んだという逸話もあるとか。
「あの連中、なんとか助けてやりたいんだけど」(徳川実記)
動物愛護がすぎて珍法を作り(後年、まとめて生類(しょうるい)憐(あわれ)みの令と呼ばれているアレ)、「犬公方(いぬくぼう)」とあだ名された将軍として有名。
「[[元禄繚乱]]」ではショーケンがトリッキーに演じた。
註01…ジュイチイがどうのこうのという話と松の廊下事件とのタイムラグはドラマによってさまざま。実際は、イベントと桂昌院のみくらいの因果関係は無いともされる。