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実録忠臣蔵 天の巻 地の巻 人の巻

474 バイト追加, 2021年6月19日 (土) 20:32
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というわけで、字幕と内容とに「おや」と思うところがちょいちょいあったのですが、なんでも本作は尾上松之助の一周忌(昭和2年)に『増補改訂忠臣蔵』と名を変えて上演しているそうであります(※01)。その際大河内伝次郎の鍔屋宗伴とかが「増補」されたようで、「おや」と思う原因の手がかりなのかなと思っております。というわけで、字幕と内容とに「おや」と思うところがちょいちょいあったのですが、なんでも本作は尾上松之助の一周忌(昭和2年)に『増補改訂忠臣蔵』と名を変えて上演しているそうであります<small>(※註01)</small>。その際大河内伝次郎の鍔屋宗伴とかが「増補」されたようで、「おや」と思う原因の手がかりなのかなと思っております。
※01・・・大正元年にMパテー商会、横田商会、吉沢商会、福宝堂が合併して日活が設立されるがトップの意見が合わず、おりからの不景気風に暖簾をあおられて、しばしば前に撮った映画にちょっぴり新しく撮ったのをつないで上映してしのいだことがあったそうです。※註01・・・大正元年にMパテー商会、横田商会、吉沢商会、福宝堂が合併して日活が設立されるがトップの意見が合わず、おりからの不景気風に暖簾をあおられて、しばしば前に撮った映画にちょっぴり新しく撮ったのをつないで上映してしのいだことがあったそうです。 (附言) ヒットしたいっぽうで「討ち入りまでの義士の苦心が不足してる」という批判もあったんで、人気急上昇の大河内傳次郎の[[鍔屋宗伴]]のエピソードを足して内容を整え、再ヒットを狙ったとされている。講談と違う、宗伴の協力ぶりが描かれていたようだ。(朝日ソノラマ「大河内傳次郎 人と作品 その魅力のすべて」)

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