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もりいくすお

1,013 バイト除去, 2022年6月28日 (火) 03:06
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 2012年。[http://blog.kusuya.net/?search=AKB%BB%CD%BD%BD%BC%B7%BB%CE%28%B2%FE%29 趣味で描いたAKB48忠臣蔵選抜の絵]が「AKB48 リクエストアワー セットリストベスト100」のライブで採用。テストまでやったが本番では進行が押して残念ながら流れずじまい。セットリストベスト100」のライブで採用。(テストまでやったが本番では進行が押して残念ながら流れずじまい。)
 2013年。忠臣蔵物語を布教するために'''「[http://blog.kusuya.net/?day=20131201 早わかり忠臣蔵絵本]」'''をZINE(リトルプレス)でリリース。以来、ゆかりの地で売っていただいている。
 とはいえ、最初に見た北大路欣也の「[[忠臣蔵]]」がとりたてて、ずばぬけた傑作だったわけではありません。その前年に初めて[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]をDVDで見たのも衝撃だったし、それより以前に「[[元禄繚乱]]」でそこそこハートを捕まれていましたし、さらに昔にも無意識に「[[忠臣蔵 花の巻雪の巻]]」の放送を録画していたりもしていました。完全にハマるまでの助走はありました。
 
 「がんばれ!ロボコン」「スタートレックシリーズ」「太陽にほえろ!」とかが子供の頃から好きで、登場人物が多いドラマにはハマりがちだったかもです。(とはいえ「水滸伝」は読んでない)
 正直申し上げますと、「この作品で感動したから」とかいう'''大きなキッカケは無い'''んです。
'''<好きになるキッカケエピソード1>'''
 そもそも群像劇大好き説。  子供の頃から「がんばれ!ロボコン」「スタートレックシリーズ」「太陽にほえろ!」「吉本新喜劇」「モーニング娘。」「AKB48」など、群像劇(大勢のキャラクターとその相関関係)にしびれる素養があったようです。  そこへいくと、300年以上の間、多くの人に愛され続けた忠臣蔵は、キャリアは申し分ありません。   赤穂義士伝や忠臣蔵は、史実上の登場人物のほかに、フィクション部分でも歌舞伎は歌舞伎、講談は講談と、それぞれの世界の中で新しい魅力的なキャラクターがどんどん生まれては育まれ、四十七士にからんできて、新しいエピソードを生んでいます。 因果因縁説。
 本籍は新発田城主・'''溝口信濃守'''(安兵衛のお父さん'''中山弥次右衛門'''が仕えた殿様)のお屋敷のあった南麻布。
 夢中になってキャラクターを追いかけていると、あっちにも開けてないフタが見つかる。あ、こっちにも、という具合で、気づいたらすっかりハマッていたというわけです。 生まれたのが[[堀部弥兵衛|堀部家]]の菩提寺の真ん前。
 通ってた学校は'''安兵衛'''の自宅のあった牛込柳町の近所(若松町)で、自宅前を6年間バスで通り抜け続け、学校の最寄駅は[[堀部安兵衛|安兵衛]]がおじさんの助太刀をした早稲田駅。
 仕事場は安兵衛が19歳で江戸に来て最初に住んだ麻布切通そば。
'''<好きになるキッカケエピソード2>'''  因果因縁説。  生まれたのが[[堀部弥兵衛|堀部家]]の菩提寺の真ん前で、通ってた学校は 自宅は[[堀部安兵衛|安兵衛]]がおじさんの助太刀をした早稲田にあり、そこへは中山姓時代の'''安兵衛'''の自宅のあった牛込を6年間バスで通り抜け続け、いま住んでいるのが[[堀部安兵衛]]終焉の地の近所です。仕事場は安兵衛が19歳で江戸に来て最初に住んだ麻布切通そば。サイト開設の年にエキジビジョンを持ちかけられた展示会場は[[堀内源左衛門|堀内道場のあった小石川]] ・・本籍は新発田城主・'''溝口信濃守'''(安兵衛のお父さん'''中山弥次右衛門'''が仕えた殿様)のお屋敷のあった南麻布。終焉の地の近所です。
 生まれてはじめて個展をやらせていただいたのが、[[堀内源左衛門|堀内道場のあった小石川]]。
 いずれも「たまたま」な巡り合わせです。たまたまにしては出来すぎているので、これはもうなにか運命、宿命的なものを感じております。…という、ご縁。
'''<好きになるキッカケエピソード3><好きになるキッカケエピソード2>'''
 陰陽五行説(か?)。

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