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もりいくすお

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[[画像:gozaru.jpg|thumb|2016.03月 国立演芸場楽屋にて]]
もりい くすお(男性、1965年11月23日 - )は、日本のイラストレーター。本名:森井久寿生。「作画屋」と名乗っている。<small>(<(加筆)[https://www.sonymusic.co.jp/artist/Gospellers/info/542417 アニメの仕事して]思いましたが、コレだと「アニメの作画」と誤解を招くかもですな…)</small>)は、日本のイラストレーター。声優(?)。本名:同じ。WEBやテレビなどのメディア、書籍、雑誌等の印刷物、企業案件、店鋪、寺社仏閣などに絵を提供している。
[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%91%E6%B2%A2%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80 桑沢デザイン研究所]非常勤講師。赤穂観光大使(兵庫)。港区観光大使(東京)。忠臣蔵文化愛好画家。講談「赤穂義士伝」原理主義。グラニアック(もりいの造語。鉄道マニアを意味するtrainiacから)。
書籍、雑誌等の印刷物、テレビなどのメディアに絵を提供している。本サイトのオーナー。[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%91%E6%B2%A2%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80 桑沢デザイン研究所]非常勤講師。赤穂観光大使(兵庫)。港区観光大使(東京)。忠臣蔵文化愛好画家(自称)。講談「赤穂義士伝」原理主義。忠臣蔵ソムリエ(自称)。グラニアック(もりいの造語。鉄道マニアを意味するtrainiacから)。忠バサダー(もりいの造語。忠臣蔵の良さを広めたい大使気分から)。 本サイトのオーナー。
* [https://www.youtube.com/channel/UCw9HDt7OukQuh0-ura82-sw/videos YouTube'''「忠臣蔵文化ちゃんねる」'''] <※忠臣蔵文化応援のために、チャンネル登録や高評価をぜひよろしくお願いします!
*売れてます!'''「[https://www.kusuya.net/%E5%85%83%E7%A6%84%E8%B5%A4%E7%A9%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6 早わかり忠臣蔵絵本]」'''
* [httphttps://blogkusuosan.kusuyajugem.netjp/?eidday=1008 20200308 よみもの'''「怪異談 忠臣蔵'''〜ゾンビが出てくるやつ〜'''」'''](閲覧注意)
== 忠臣蔵ゆかりな生い立ち/履歴 ==
[[画像:imagemagagine.jpg|thumb|1975~6年。初めて印刷された。]]
<small><※以下のプロフィールは事実ですが、あくまで、本・忠臣蔵サイトの一部であり、'''かなりアブノーマル'''な構成になっていることをあらかじめご了解ください。なお'''忠臣蔵関連は太字になっております'''w。></small>
 東京都港区・東京慈恵会医科大学附属病院で生まれる。
 病院は、討ち入りのあと この病院は、討ち入りのあと'''[[堀部安兵衛]]'''や'''[[大石主税]]'''、'''[[不破数右衛門]]'''らが最初に落ち着いた愛宕下の伊予松山藩・松平隠岐守の上屋敷跡(しっかり古地図を見ると、じゃっかんズレてるが黙っていようっと!)。ちなみに'''[[堀部弥兵衛|堀部家]]菩提寺の青松寺'''の真っ正面。また'''[[畳屋|畳替え事件]]の増上寺'''の近所であり、何度も'''[[浅野内匠頭]]'''や'''[[大石内蔵助]]'''を演じた片岡千恵蔵の終焉の地でもあります。を演じた片岡千恵蔵や長谷川一夫の終焉の地でもあります。
(慈恵看護専門学校の前身、看護婦教育所は鹿鳴館バザーの収益で建てられたが、開催は新発田藩・溝口家12代藩主の娘から有栖川家に嫁いだ栄姫(はるひめ。結婚して董子…ただこ)さんによるものである。'''[[堀部安兵衛]]'''は溝口家から姓を分けてもらってる一族。父・'''中山弥次右衛門'''は藩士。)
 物心ついた時からすでに絵を描くのが好きだったくすおは、幼稚園([[おニャン子版忠臣蔵|「夕ニャン」]]で'''[[浮橋太夫]]'''をやった工藤静香が編入&中退した日本音楽高等学校の付属幼稚園)の頃から「モーレツア太郎」や「帰ってきたウルトラマン」を描いておともだちに喜ばれては、得意になっていた。をやった工藤静香が編入&中退し、'''[[ホリ|堀部安兵衛の妻・ホリ]]'''を演じた[https://www.kusuya.net/%E3%83%9B%E3%83%AA#/media/File:Fukatsu_hori.jpg 深津絵里]が卒業した、日本音楽高等学校の付属幼稚園)の頃から「モーレツア太郎」や「帰ってきたウルトラマン」を描いておともだちに喜ばれては、得意になっていた。  小学校に上がるや、担任による「給食を全部食べなければ帰宅を許さない」という所謂「完食教育」の体罰が効いて、会食恐怖症となり、元来、ひとりっ子で独占欲が強く、食い意地が張ってるはずのもりいには、この症状は卒業するまで給食が苦痛でしかなかった(香りや味が"良い思い出"として残っていてもである)。
 小学校に上がるや、「給食を全部食べなければ帰宅を許さない」という担任の体罰が効いて、会食恐怖症となり、元来、ひとりっ子で独占欲が強く、食い意地が張ってるはずのもりいには、この症状は卒業するまで給食が苦痛でしかなかった。いつスイッチが入るかわからない、このコンプレックス(「平らげなければいけない!」という強いプレッシャーを感じると、とたんに食べ物を飲み込めなくなる)には40歳を過ぎてもときどき苦しめられたが、忠臣蔵に目覚めた2008年、故・国本武春師匠におごってもらった成田の川豊本店のうな重を食べ残したのを最後に、なぜか(ようやく)克服できた。 いつスイッチが入るかわからないこのコンプレックス(「平らげなければいけない!」という強いプレッシャーを感じると、とたんに胃腸が活動を止めて喉がつまり、吐き気とともに食べ物を飲み込めなくなる)には40歳を過ぎてもときどき苦しめられたが、忠臣蔵に目覚めた2008年、故・国本武春師匠におごってもらった成田の川豊本店のうな重を食べ残したのを最後に、なぜか(ようやく)すっかり克服できた。
 雑誌の「テレビランド」や「小学四年生」「小学五年生」に投稿して絵を掲載してもらう印刷初体験をする。同時に「おはようこどもショー」のコーナーでつボイノリオの背景に絵を採用された放送電波初体験もした。(放送をした日本テレビは当時 雑誌の「テレビランド」や「小学四年生」「小学五年生」に投稿して絵を掲載してもらう印刷初体験をする。同時期に「おはようこどもショー」のコーナーでつボイノリオの背景に絵を採用された放送電波初体験もした。(放送をした日本テレビは当時'''赤穂浪士が潜伏した麹町'''にあったが、現在、汐留の'''仙台藩芝口上屋敷跡'''にある。討ち入り後に赤穂浪士に粥を振る舞ったお屋敷である)
 テレビや漫画ばかり見ていてあまりに勉強しないので、罰として親に漫画本のすべてを破棄されるが、クオリティの高い手塚治虫(<ちなみに先生は「'''[[わんわん忠臣蔵]]'''」原案を担当している。手塚プロのある高田馬場は'''[[堀部安兵衛|中山安兵衛]]の決闘'''で有名。晩年に「七色いんこ」という作品で'''忠臣蔵'''のパロディを扱ってらっしゃいました。)作品だけは、父の情けで読んでいいというお赦しが出る。(当時俗悪とされたテレビ番組「8時だヨ!全員集合」「うわさのチャンネル」についても視聴禁令が敷かれた)
 「赤穂城…」そのものに、特にハマりはしなかったが(面白いとは思った)、それよりも、この映画のパンフレットに、それまで公開された過去の忠臣蔵映画のスチルがたくさん載っており、これに釘付け。同じ題材でいにしえより、こんなにもいろんな作品がめんめんと作り続けられてるという、映画史に興奮した。間違いなくここで植え付けられたなにかが触媒され、本サイトを作る根源になっている。
 また、落語にハマったのも中学時代で、たとえば「'''[[中村仲蔵]]'''」を聴きながら、創作の魅力をあれこれ想像し、おはなしに出てくる」をラジカセで聴きながら、創作の魅力をあれこれ想像し、おはなしに出てくる'''[[斧定九郎|定九郎]]'''ってどんなんだろうと思いをはせた。この頃を境に両親を「おとっつぁん」「おっかさん」と呼ぶようになる。
 アメリカの風刺雑誌MADと巡り会い、モート・ドラッカーの作風に憧れる。
 テレ東版の珍訳「ゾンビ」(いわゆるサスペリア版)に腹を立てて友人とアフレコしなおしたり、学園祭では16ミリフィルムでアニメ撮影&上映などして遊び、日替わりの特撮映画を見に定期券を買って有楽町の日劇まで「ゴジラ映画大全集」に日参するなど、オタクの一面もこの頃に育つ。(のちにアニメの脚本を多く手掛ける明大の学生当時の関島眞頼氏と毎日のように会ってるうちになつき、吉野家の牛丼をごちそうになって「この世にこんなうまいものがあるのか」と感激する。) テレ東版の珍訳「ゾンビ」(いわゆるサスペリア版)に腹を立てて友人とアフレコしなおしたり、学園祭では16ミリフィルムでアニメ撮影&上映などして遊び、日替わりの特撮映画を見に定期券を買って有楽町の日劇まで「ゴジラ映画大全集」に日参するなど、オタクの一面もこの頃に育つ。(のちにアニメの脚本を多く手掛ける明大の学生当時の関島眞頼氏と毎日のように会ってるうちになつき、ある日、吉野家の牛丼をごちそうになって「この世にこんなうまいものがあるのか」と感激する。)   '''「[[怪獣総進撃]]」'''や「ゴジラ対メカゴジラ」をノートにコミカライズしたり、クラスメイトを登場させる巨大ヒーロー物や野球漫画を描いては回し読みしてもらってたが、人気に図に乗ってたらいつの間にかクラス全員から無視される羽目になり、猛省する。  中3の頃、B5サイズの壁新聞を自主的に掲示板に貼るようになり、始めは担任にチェックしてもらっていたが、教員の告発系の記事もあったので、担任に検閲されたのをキッカケに、タイトルに「無許可」の文字を入れてゲリラ的に貼るようになった。次第に、リリース日になると、ほかのクラスからも掲載を楽しみに見に来てくれる人も増えていった。担任を含め、教室を訪れる各教員も、読みこそはすれ、誰もをそれを剥がすことはなかった。   いっぽう、あまりにも勉強をしないため、母親がくすおをお祓い(祈祷だったかな。東十条あたりの寺?)に連れて行ったこともあったが、もちろん改善されず、たまに頑張るとテストの成績は良かったので、勉強以外に楽しいことが多すぎてモチベーションが上がらないだけなんだなと自覚していた。 
 忘れてはならないのが、この当時出会った「大特撮 日本特撮映画史(有文社 コロッサス編 1979年初版)」という、特撮映画に特化した、作品ごとのあらすじ、撮影トリビア、評論が豊富に掲載された、ファン主体の研究書との出会い。いま思えば評論の1st教科書だった。
 中高一貫なので、そのまま新宿の成城高校に進学。 中高一貫風だったので、そのまま新宿の成城高校に進学。
 都バスで6年間、登下校の際、 とにかく都バスで6年間、登下校の際、'''[[堀部安兵衛]]の自宅のあった牛込'''柳町を行き来した。
 この学校は最寄りが早稲田駅であり、言うまでもなく'''[[堀部安兵衛]]の高田馬場の決闘'''の現場に近い。学校に隣接した瑞光寺さんは'''[[間十次郎]]ご一家の菩提寺'''で、学校の裏にあたる月桂寺は講談で'''[[鳥居理右衛門]]が門前で槍術指南をした'''場所とされる。
 学校の先輩に、'''[[清閑寺熙定|清閑寺中納言]]'''を演じた上原謙や'''[[大石内蔵助]]'''その他を演じた[[丹波哲郎]]。'''[[間十次郎]]'''の子孫でアナウンサーの羽佐間正雄氏がいる。
 日露戦争で活躍された乃木希典大将のお父さんは、現在のもりいの作業場から5分ほど行った'''長府藩毛利家'''に仕えていた藩士で、大将は藩邸内の長屋出身だそうだが、現在「六本木ヒルズ毛利庭園」のここは、'''赤穂義士終焉の地'''でもある。乃木大将は赤穂義士ファンであったので、毎月命日には息子さんの手を引いて泉岳寺にお参りに行ったというが、その、息子さんたちも、高校の先輩である。でもある。乃木大将は赤穂義士ファンであったので、毎月命日には息子さんの手を引いて泉岳寺にお参りに行ったというが、その息子さんたちも、もりいの高校の先輩である。
 このころ、雑誌「ぴあ」に毎号似顔絵パロディイラストを読者投稿して掲載してもらうなどしていたが、高2のある日、縁あって「仮面ライダー」や「'''マンガ日本の歴史・忠臣蔵と生類憐み'''」で有名な石ノ森章太郎先生にマンガを見てもらい、とりあえず悪く言われなかったことですっかりその気になり、絵描きの道を目指す。お礼に出かけた場所が国立演芸場の楽屋だったことも手伝ってか、ソワソワするもりいの様子を見たその時の先生のアドバイスは「きみは噺家をめざしたほうがいいんじゃないか?」だった。
 石ノ森先生との出会いで、絵で食べていこうと活路を見出し、東横線菊名の美大予備校(系の画塾)に通い始める。
 
 自分の絵心に対する、周囲の褒めそやしが影響してか「どうにかなるだろう」と、たかをくくって、学業パフォーマンスを上げる努力を一切しなかったので、学科試験の多い美大受験は諦め(それでもタマビは受験して不合格。ムサビは願書を出し忘れた)、予備校の講師のすすめもあって、ハナから都心にあって通いやすい桑沢デザイン研究所(後述)に狙いを定めてデッサンや色彩構成の受験勉強に専念をした。
 高校卒業後は、渋谷の専門学校桑沢デザイン研究所(先輩に'''[[田村右京大夫|田村]]'''邸跡で切腹最中を売る新正堂さん社長夫婦)でグラフィックデザインを学ぶ。課題の多さにヘトヘトになり押しつぶされそうになると、浅草東宝に「クレージーキャッツ特集」をオールナイトで見に行っては正気をたもった。
 在学中に、刃傷事件のあった'''江戸城の、内匠頭が駕籠で出てった平川門'''の近所の小学館の漫画週刊誌からデビュー。の近所の小学館の「ビッグコミックスピリッツ増刊号」からデビュー。公募に出した作品を江上英樹氏に拾っていただき、立川義剛氏に育てていただいた。
 卒業してすぐクレイアーティスト、スーパーマーケットマニア、IKEA博士の[https://note.com/yukamorii/ 森井ユカ]との共同生活を浅草で始める。 ただ、慣れない商業誌向けマンガよりも、デザイン畑での研修用マンガや社内報などインナー向け制作や、広告などアドバタイジング分野のほうが腕を振るえ、報酬も良かったのため、結局イラストレーターとしての道を歩み始める。
 結婚にあたって人並みに、式と披露宴をしたが、場所は吉良邸の茶会の日をリークした 卒業してすぐクレイアーティスト、スーパーマーケットマニア、[https://www.youtube.com/@baggagebyyukamorii/videos YouTuber]の[https://i.fileweb.jp/moriiyuka/ 森井ユカ]との共同生活を浅草で始める。  新生活にあたって人並みに、結婚式と披露宴をしたが、場所は吉良邸の茶会の日をリークした'''[[羽倉斎]]ゆかりの地、神田明神'''であった。
 浅草は'''[[前原伊助]]、[[倉橋伝助]]、[[勝田新左衛門]]、[[不破数右衛門]]、[[武林唯七]]、[[杉野十平次]]らが同盟の誓約を交わした'''場所で、'''義臣伝読切講釈「忠臣連理の鉢植~植木屋」'''の舞台で、仮名手本忠臣蔵などが公演される'''[[中村勘三郎|中村座]]'''がやってくる有名な東京の下町である。
 3年ほどして'''[[菅谷半之丞]]'''の寓居していた谷中のそばに転居。しばらくいた。(台東区での営業は10年以上になった。)
 
 
 
== イラストデビュー以降 ==
[[画像:ramen_basi.jpg|thumb|PlayStation用ゲームソフト]]
[[画像:hazama_family.jpg|thumb|2019.05月 羽佐間一家のご子孫。羽佐間省二さんの取持ちで高校の大先輩・羽佐間正雄氏と、かつてコサキンのラジオでモノマネを褒めてくださった声優・羽佐間道夫氏と。渋谷にて。]]
 独立初期は求人情報誌で隆盛を極めていたリクルート(所在地は当時、'''浅野内匠頭終焉の地・新橋''')各誌が上得意客で、とりわけ「ガテン」誌の連載(創刊時から数年)には大いに生活を支えていただいた。  友人に助けられながら、クライアントに謝りながら、それなりにイラストレーター生活を続け、たまにTBSラジオ「コサキンDEワァオ!」で広川太一郎さんのモノマネ('''[[間十次郎]]'''の子孫の声優・羽佐間道夫さんおすみつき。とはいえ20年以上経って、お会いした時はコサキンにおいでになったことをお忘れでした。「小堺くんが"俺がハマーだ!"のファンなんだよね。」)を披露し、この出演をきっかけにその後も関根勤氏主宰のカンコンキンシアターのナレーションが続いている。のファンなんだよね。」)を披露し、この出演をきっかけにその後も関根勤氏主宰のカンコンキンシアターのナレーションが30年以上続いている。
 ちなみに関根氏は高輪の育ちであり、小学生時代は'''義士祭'''になると煙まみれの'''泉岳寺'''に、お友達と「探検だ!」と言って出かけたという(ご本人談。お寺はご実家から徒歩7分)。
 さて、イラストのデビュー当初は、フランスのバンド・デシネに憧れたこともあってアクリル絵の具を使ったリアル絵を積極的にメインの仕事とし、雑誌や広告にイラストを提供し(フロム・エー/ガテンなど)、タカラトミーのプレステゲーム「ラーメン橋」のキャラクターデザインなどもした。
 その後、パソコン時代到来と共にコラージュマンガ(漫画と写真を合成したフュメッティ)でフェチ漫画を意気揚々と制作(あちゃら「フェチャイライトゾーン」)。当時の地上波で放送中だった「トゥナイト2」「タモリ倶楽部」などでフェチコメンテーターとしてしばしば本人が電波にも乗った。このころ全身タイツ愛好家として関ジャニ∞の深夜番組「裏ジャニ」に出演し、のちに その後、パソコン時代到来と共にコラージュマンガ(漫画と写真を合成したフュメッティ)でフェチ漫画を意気揚々と制作(あちゃら「フェチャイライトゾーン」)。当時の地上波で放送中だった「トゥナイト2」「タモリ倶楽部」などでフェチコメンテーターとしてしばしば本人が電波にも乗った。このころ全身タイツ愛好家として関ジャニ∞(現・SUPER EIGHT)の深夜番組「裏ジャニ」に出演し、のちに'''[[大石主税]]'''や'''[[不破数右衛門]]'''をやる横山裕氏(&内博貴氏)と共演をしている。
 またその後、ルポ漫画を得意とした作家としてほうぼう出かけてはそれをマンガにすることが多くなる。(リクルートガテン「おしごと見聞録」/日刊ゲンダイ「見てきたマンマ」/三才ブックス裏ッ!「ピンポンダッシュ」/講談社モーニング「モーニング探検隊」など)
 やがて2005年、40代になって、若き'''[[堀部安兵衛|安兵衛]]'''が江戸に来て最初に住んだ、'''[[神崎与五郎]]'''が「美作屋善兵衛」を名乗って町民に化けていた、'''[[寺坂吉右衛門]]'''の墓のある、'''[[吉良上野介]]'''の下屋敷があり、愛人の家もあった、'''赤穂浅野家、藩祖の長友(忠臣蔵の浅野内匠頭のおじいさま)時代まで下屋敷'''があった、もりいの本籍地でもある、麻布に仕事場を引っ越し新装開店。(江戸城の鬼門から裏鬼門に引っ越したわけである)
 自宅も転宅したがそこはたまたま'''最初の江戸下向で大石が安兵衛と会談した'''、そして'''大石の命令で[[原惣右衛門]]らが作戦のために会合場所として屋敷を買った三田らが作戦のために会合場所として屋敷を買った'''だった。ちなみに、'''『学問のすゝめ』で『赤穂不義士論』を展開した福沢諭吉が住んでいた'''三田だった。ちなみに[http://blog.kusuya.net/?eid=901 イタリア大使館]('''[[大石主税]]'''や'''[[堀部安兵衛]]'''終焉の地。伊予松山藩・'''松平隠岐守の中屋敷跡'''。)の目と鼻の先。
 この時点でも、まだ忠臣蔵にはハマっていないが、タイミングとしてはあきらかにこの引越がターニング・ポイントといえる。 この時点でも、まだ忠臣蔵にはハマっていないが、地の利とでも言うのだろうか、タイミングとしてはあきらかにこの引越がターニング・ポイントといえる。
2006年、翌年亥年の年賀状に'''[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]の五段目'''に出てくるイノシシを描こうとにわかに思いたち、友人に結婚のお祝いに似顔絵を描く代わりにと仮名手本忠臣蔵のDVDを無心。ここで初めて歌舞伎をじっくり見る(DVDだけど)。(結局年賀状は制作せず仕舞い。)
 2012年。[http://blog.kusuya.net/?search=AKB%BB%CD%BD%BD%BC%B7%BB%CE%28%B2%FE%29 趣味で描いたAKB48忠臣蔵選抜の絵]が「AKB48 リクエストアワー セットリストベスト100」のライブで採用。(テストまでやったが本番では進行が押して残念ながら流れずじまい。)
 2013年。忠臣蔵物語を布教するために'''「[httphttps://blogwww.kusuya.net/?day=20131201 %E5%85%83%E7%A6%84%E8%B5%A4%E7%A9%82%E4%BA%8B%E4%BB%B6 早わかり忠臣蔵絵本]」'''をZINE(リトルプレス)でリリース。以来、ゆかりの地で売っていただいている。
 2014年。・[http://blog.kusuya.net/?eid=901 イタリア大使館('''旧・松平家'''跡)訪問。]
'''Kusuo Morii''' (b. November 23, 1965) is a Japanese Illustrator illustrator and comics artist , best known as a The the producer of the encyclopedia The Encyclopedia of '''Chūshingura''' where is , the largest in one on this planet.
Chūshingura are refers to fictionalized accounts in Japanese puppet showtheatre, theatrekabuki, and film that relate dramatize the historical incident involving of the '''47RONIN''' 47 rōnin and their mission to avenge the death of their masterlord, Asano Naganori.
風評被害、炎上の元祖(?)、描きおろしイラストと共に吉良上野介の実像と虚像にせまり、近年のコンプライアンス上等の時代における、吉良上野介の「扱い方」に疑問を投げかけ、彼に悪役として徹底してもらうためのアイデアを語る。
<small>(東京都港区 歴史フォーラム)</small> リンク>[https://www.youtube.com/watch?v=wyJkBAYcL7E&t=5769s 「港区役所 港区歴史フォーラム「忠臣蔵」(加来耕三先生のあとに出てきます。)」]
画像:nekketsu_yas_s.jpg|2021年堀部安兵衛生誕350年祭。記念漫画リリース(本編28ページ中綴じ)
画像:jihan01.jpg|2022年赤穂市民総合体育館前に「早わかり忠臣蔵絵本」自販機登場
画像:re_size.jpg|2025年新発田市役所のご依頼で「ももクロ春の一大事」駅から会場までの案内看板の絵を4人分提供。
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