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高校卒業後は、渋谷の専門学校桑沢デザイン研究所(先輩に'''[[田村右京大夫|田村]]'''邸跡で切腹最中を売る新正堂さん社長夫婦)でグラフィックデザインを学ぶ。課題の多さにヘトヘトになり押しつぶされそうになると、浅草東宝に「クレージーキャッツ特集」をオールナイトで見に行っては正気をたもった。
在学中に、刃傷事件のあった'''江戸城の、内匠頭が駕籠で出てった平川門'''の近所の小学館の漫画週刊誌(ビックコミックスピリッツ増刊号。公募に出した作品を江上英樹氏が拾ってくれ、立川義剛氏が育ててくださった)からデビュー。の近所の小学館の「ビッグコミックスピリッツ増刊号」からデビュー。公募に出した作品を江上英樹氏に拾っていただき、立川義剛氏に育てていただいた。 ただ、慣れない商業誌向けマンガよりも、デザイン畑での研修用マンガや社内報などインナー向け制作や、広告などアドバタイジング分野のほうが腕を振るえ、報酬も良かったのため、結局イラストレーターとしての道を歩み始める。
卒業してすぐクレイアーティスト、スーパーマーケットマニア、[https://www.youtube.com/@baggagebyyukamorii/videos YouTuber]の[https://i.fileweb.jp/moriiyuka/ 森井ユカ]との共同生活を浅草で始める。
== イラストデビュー以降 ==
[[画像:ramen_basi.jpg|thumb|PlayStation用ゲームソフト]]
[[画像:hazama_family.jpg|thumb|2019.05月 羽佐間一家のご子孫。羽佐間省二さんの取持ちで高校の大先輩・羽佐間正雄氏と、かつてコサキンのラジオでモノマネを褒めてくださった声優・羽佐間道夫氏と。渋谷にて。]]
独立初期は求人情報誌で隆盛を極めていたリクルート各誌が上得意客で、とりわけ「ガテン」誌の連載(創刊時から数年)には大いに生活を支えていただいた。
友人に助けられながら、クライアントに謝りながら、それなりにイラストレーター生活を続け、たまにTBSラジオ「コサキンDEワァオ!」で広川太一郎さんのモノマネ('''[[間十次郎]]'''の子孫の声優・羽佐間道夫さんおすみつき。とはいえ20年以上経って、お会いした時はコサキンにおいでになったことをお忘れでした。「小堺くんが"俺がハマーだ!"のファンなんだよね。」)を披露し、この出演をきっかけにその後も関根勤氏主宰のカンコンキンシアターのナレーションが30年以上続いている。