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赤穂浪士
,編集の要約なし
註01…
ただ、当時を生きた人としては「またかよ!」感が強かったらしく、当時の「キネマ旬報」で飯田心美(キネ旬同人。当時ほぼ毎号寄稿)が「退屈感を抑えきれない」「2年足らずのうちにまた作られた(略)なにか新考案がなかったものか」と手厳しい批評を残しているそうだ(号数要確認)。
サンフランシスコ講和条約以降、いきおいに乗った東映は1954年から二本立て興行を始め、千恵蔵&歌右衛門のようなベテランに加え、錦之助や橋蔵といった若手スターやヒット作にも恵まれたが、効率よく定型化した作品を量産し、ときどき忠臣蔵や清水次郎長伝で消化していたら、そのままマンネリになっていったようだ。