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忠魂義烈 実録忠臣蔵

1,108 バイト追加, 2026年1月8日 (木)
編集の要約なし
この火事にはちょっとした伝説がある。
監督は内蔵助役の伊井蓉峰という人ともめてたらしいが(伊井蓉峰という芸名の語源は「良い容貌」から来てるとか。当時にしては珍しく自家用車も持ってた成功者)この人とにかく監督の言うことを聞かなかったそうで、自己判断でものすごくクサいオーバーアクションで違和感を丸出し。監督は頭を抱えてしまい、当時の新聞には「神経衰弱」とも報道された。監督は内蔵助役の伊井蓉峰という人ともめてたらしいが(伊井蓉峰:いいようほう…という芸名の語源は「良い容貌」から来てるとか。「新派劇の大統領」とあだ名され、当時にしては珍しく自家用車も持ってた成功者)この人とにかく監督の言うことを聞かなかったそうで、自己判断でものすごくクサいオーバーアクションで違和感を丸出し。監督は頭を抱えてしまい、当時の新聞には「神経衰弱」とも報道された。<small>(註01)</small>
もしかしたら監督は編集中に「これじゃまとまらねえや!」とブチ切れて、わざとフィルムを燃やしたのかも、と息子・マキノ雅弘は考えているようです。<small>(「あゝ、にっぽん活動大写真」TBS/畠剛 著「松田定次の東映時代劇」)註01著「松田定次の東映時代劇」)註02</small>
註01…「映画で生きていこうと決めたのなら思い切って舞台はやめなさい」「判官やらせたるから」と牧野省三に言われた若き片岡千恵蔵は、この世界に入った片岡少年劇からの恩人&師匠の、片岡仁左衛門(11th)の追善公演を蹴って、義理を欠いてまで撮影所に駆けつけたのに、当てられた役は註01…「うぬぼれ。度が過ぎてますわ」「演技なんてものやない。カツドウシャシンの約束しりまへん」「千恵さんやらワテがマキノやめようと、密かに決心した理由の一つはこの伊井蓉峰」「焼けなんでもあの作品は失敗やったと思います」…と、嵐寛寿郎(本作の[[服部市郎右衛門脇坂淡路守]]/[[大高源五|大高源吾小林平八郎]]の二役だったという。「判官やらせるとは言ったが、内匠頭をやらせるとは言うてまへん」/[[寺坂吉右衛門]])はさんざんなコメントをしている。<small>(「鞍馬天狗のおじさんは」竹中労 ちくま文庫)</small>
「その時の悔しさ、悲しさときたらありませんでした。辞めようと思いました…。」<small>(別冊近代映画 昭和34年2月号)</small>という、有名な逸話もあるので、怨念が効いたもかも知れません!?
註02…「映画で生きていこうと決めたのなら思い切って舞台はやめなさい」「判官やらせたるから」と牧野省三に言われた若き片岡千恵蔵(本作の[[服部市郎右衛門|服部一郎右衛門]]/[[間十次郎|間重次郎]])は、この世界に入った片岡少年劇からの恩人&師匠の、片岡仁左衛門(11th)の追善公演を蹴って、義理を欠いてまでこの作品の撮影所に駆けつけたのに、当てられた役は[[服部市郎右衛門]]と[[大高源五|大高源吾]]の二役だったという。「判官やらせるとは言ったが、内匠頭をやらせるとは言うてまへん」
 
「その時の悔しさ、悲しさときたらありませんでした。辞めようと思いました…。」<small>(「別冊近代映画」昭和34年2月号には当てられた役は大高源五とあるのだが、本編クレジットには間重次郎とあり、Wikiには萱野三平とある。目を皿のようにして作品を見ても、よくわからない。)</small>という、有名な逸話もあるので、怨念が効いたもかも知れません!?
 
いずれにせよ、監督と主役の身勝手は、現場に異様なムードを作っていたようであります。

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