差分

もりいくすお

320 バイト追加, 2026年1月25日 (日)
編集の要約なし
 
 
== 10代 ==
 小学生時代に、「ジョーズ」や「タワーリングインフェルノ」や「犬神家の一族」をきっかけとしてハマった映画鑑賞だったが、中学生になってから、深作欣二の「'''[[赤穂城断絶]]'''」に出会う。いわばもりいくすおが真っ正面から接した忠臣蔵ファーストコンタクトである。(でも、この時点ではまだ忠臣蔵にハマっていない)
 自分の絵心に対する、周囲の褒めそやしが影響してか「どうにかなるだろう」と、たかをくくって、学業パフォーマンスを上げる努力を一切しなかったので、学科試験の多い美大受験は諦め(それでもタマビは受験して不合格。ムサビは願書を出し忘れた)、予備校の講師のすすめもあって、ハナから都心にあって通いやすい桑沢デザイン研究所(後述)に狙いを定めてデッサンや色彩構成の受験勉強に専念をした。
 
 高校卒業後は、渋谷の専門学校桑沢デザイン研究所(先輩に'''[[田村右京大夫|田村]]'''邸跡で切腹最中を売る新正堂さん社長夫婦)でグラフィックデザインを学ぶ。課題の多さにヘトヘトになり押しつぶされそうになると、浅草東宝に「クレージーキャッツ特集」をオールナイトで見に行っては正気をたもった。
 3年ほどして'''[[菅谷半之丞]]'''の寓居していた谷中のそばに転居。しばらくいた。(台東区での営業は10年以上になった。)
 
 
 
== イラストデビュー以降 ==
 そうした20〜30代は、特に忠臣蔵を意識することもなく生きていたが、それでもなぜか年末の忠臣蔵映画を録画したり、大河ドラマの「'''[[元禄繚乱]]'''」を毎週録画したりしていた。(それでもまだ、この時点で忠臣蔵にハマっていない)
 ちなみに、1996年から始めたブログは現在まで、ほぼ毎日続いている。(リニュアルの関係で2008年から閲覧可能)> ちなみに、1996年から始めたブログは現在まで、ほぼ毎日続いている。(リニュアルの関係で2008年から閲覧可能)>[https://www.kusuo.com/?cat=4/ 「くすお画主主義共和房」]
 やがて2005年、40代になって、若き'''[[堀部安兵衛|安兵衛]]'''が江戸に来て最初に住んだ、'''[[神崎与五郎]]'''が「美作屋善兵衛」を名乗って町民に化けていた、'''[[寺坂吉右衛門]]'''の墓のある、'''[[吉良上野介]]'''の下屋敷があり、愛人の家もあった、'''赤穂浅野家、藩祖の長友(忠臣蔵の浅野内匠頭のおじいさま)時代まで下屋敷'''があった、もりいの本籍地でもある、麻布に仕事場を引っ越し新装開店。(江戸城の鬼門から裏鬼門に引っ越したわけである)
 自宅も転宅したがそこはたまたま 自宅も転宅したが、そこはたまたま'''最初の江戸下向で大石が安兵衛と会談した'''、そして'''大石の命令で[[原惣右衛門]]らが作戦のために会合場所として屋敷を買った'''、'''赤穂の浪人を影でサポートした前川忠太夫'''の住んでいた、'''『学問のすゝめ』で『赤穂不義士論』を展開した福沢諭吉が住んでいた'''三田だった。ちなみに、三田だった。ちなみに[http://blog.kusuya.net/?eid=901 イタリア大使館]('''[[大石主税]]'''や'''[[堀部安兵衛]]'''終焉の地。伊予松山藩・'''松平隠岐守の中屋敷跡'''。)の目と鼻の先。
 この時点でも、まだ忠臣蔵にはハマっていないが、地の利とでも言うのだろうか、タイミングとしてはあきらかにこの引越がターニング・ポイントといえる。
2006年、翌年亥年の年賀状に 2006年、翌年亥年の年賀状に'''[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]の五段目'''に出てくるイノシシを描こうとにわかに思いたち、友人に結婚のお祝いに似顔絵を描く代わりにと仮名手本忠臣蔵のDVDを無心。ここで初めて歌舞伎をじっくり見る(DVDだけど)。(結局年賀状は制作せず仕舞い。)に出てくるイノシシを描こうとにわかに思いたち、友人に結婚のお祝いに似顔絵を描く代わりにと仮名手本忠臣蔵のDVDを無心。ここで初めて歌舞伎をじっくり見る(DVDだけど)。当時のブログに「ハマるかもしれない」と記述。(結局年賀状は制作せず仕舞い。)
[[画像:Tape.JPG|thumb|2008.09月 国本武春氏から借りたテープ。このほか講談本なども拝借。]]
 そして運命の2007年末、北王子欣也の「[[忠臣蔵]]」のCS放送を見ながらいつも混乱する「忠臣蔵」の登場人物のメモをつけ、鑑賞する作品をとっかえひっかえしながらメモを続けているうちに、」のCS放送を見ながらいつも混乱する「忠臣蔵」の登場人物のメモをつけ相関図を作成。  その後も、見る作品ごとにアレンジが違うので、鑑賞する作品をとっかえひっかえしながらメモを続けているうちに、ついに、'''どんどん被れていってしまった'''。
 雑誌やテレビの似顔絵の仕事が多かったので、練習もかねて登場人物の役者絵を仕事の合間に描いていたら仕事中もオフも絵と向き合うこととなり、それが楽しいウォーミングアップになった。おかげでいつ仕事へのシフトしても筆が軽やかになり、気が進まない仕事が激減した。
 奇しくも、'''[[大石内蔵助]]'''の享年と同じ45歳の折、'''兵庫県赤穂市'''から「観光大使」を委嘱される。
 
 …その後…
     ・フランスでの義士絵の販売(以下に詳細)。
     ・[http://www.tbs.co.jp/radio/kume954/guest/20141213.html 久米宏さん]や春風亭一之輔師匠のラジオ出演。や、[https://audee.jp/news/show/7558 春風亭一之輔師匠のラジオ]出演。
     ・テレビ3番組ほどの義士絵の提供。