10,722
回編集
差分
提供: Kusupedia
編集の要約なし
{{Cinema| width制作="200px" border日本テレビ|公開=1985|内蔵助="1" cellpadding里見浩太朗|星="4" cellspacing="0" align="right"| colspan頃="2" align="center" |'''作品概要'''|-! 制作会社| 日本テレビ|-! 公開年度| 1985年}}[[画像:Chin.jpg|-! 内蔵助役thumb| 里見浩太朗役者絵:狆]][[画像:kataoka.jpg|-! 評価thumb| ★★★役者絵:竜雷太]]|}ひじょうにわかりやすい。定番のTVサイズのお茶の間時代劇。もしかするとビギナー向けナンバー・ワン。
話は変わりますが、この頃の若手ってヘッタクソな人多いっすねえ!素人がもてはやされた時代だからかなあ。
註01…この「忠臣蔵」の放送が終わって夜が明けると、里見は芸能生活30周年だった。「長七郎」モノや「水戸黄門」の助さん役の「マンネリを防ぐカンフル剤になれば」と意気込み、役作りに食事の量を倍にして貫禄づくりにはげんだら、脂肪肝になってしまったという。(TVガイド 1985年12/21-27号)
註02…里見浩太朗は、オリジナリティあふれるこのシーンにおいて、蔵の中に入る時と出てきた時で顔がまったく違っている、そうした大石の心情の変化に=大スターの魅力そのもので魅せていた時代とは違うというところに、注目をしてほしいと言っている。(TVガイド 1985年12/21-27号)
註03…当時、脚本を担当した杉山義法先生のスクリプトスーパーバイザーをお勤めになられた、実弟の杉山義光先生によると、この記憶は正しくて「森繁さんの首根っこおさえて、誰がどう引きずりだしたらいいものか。」と、「モリシゲの扱い」が現場で議論になったという。
四十七士の刃の先は幕府に向いているのであって、あくまで高家筆頭の格には抗うつもりはない。というようなコンセプトも考慮し「じゃあ京畳なら小さいし用意も簡単だろうから2枚並べりゃ花道みたいになるだろう。それで「敦盛」…。あとはまかせる」おおむねこうした意見が森繁から出たのだという。
ついでだが、恨みつらみばかりを強調しなかった例として、討ち入り後の再就職を意識した[[毛利小平太]]の台詞もあったそうで、[[堀部安兵衛|安兵衛]]がおじさんの助太刀で仕官できた話を引っ張りだして希望に胸踊らせるシーンだったそうだが、「齋藤武市監督がはずしちゃった」そうである。(以上 2021年3月14日お電話にて)
== 大石内蔵助〜忠臣蔵備忘録〜 ==
同じ杉山義法脚本で、セリフや場面の多くがテレビ版とまったく同じ、いわば'''舞台版'''がある。
新橋演舞場。1997年公開。出演者も何人かシフトしている。TVドラマから12年も経過してるので、ドラマ版でたよりなかった[[矢頭右衛門七]]の新田純一の演技もだいぶ安心して見られるものとなっている。
里見浩太朗の特別公演で、主役の里見=[[大石内蔵助|大石]]の周辺をクローズアップして物語が展開しているので、家族や遊里のシークエンスがふくらんでおり、[[阿久里/瑤泉院|南部坂]]と討ち入り(といっても雪の舞う中、討ち入り装束で四十七士が並ぶイメージのみ)以外は、松乃廊下を始め、江戸の一切(含:東下り)は出てこない。
<div class="thumb tleft"><div width="240px"><amazon>B00005HP9R</amazon></div></div>
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1985]]