差分

提供: Kusupedia
移動先: 案内検索

元禄忠臣蔵

サイズ変更なし, 2008年9月8日 (月) 06:05
編集の要約なし
この昭和初期の構成ですでに[[多門伝八郎]]が一生懸命[[浅野内匠頭|浅野]]をかばうとか、庭先の[[片岡源五右衛門]]を気づかせる為に月を話題にするとか、[[大野九郎兵衛]]はステレオタイプの悪役ではない等々、以降の映画やドラマで見るいろんなシーンのおなじみのエッセンスがそこかしこに見受けられる。
 
これをはじめて見た昭和の人達はさぞかし斬新に思っただろうなあ。「へえ、ホントはそうなんだぁ」と。とはいえ、この物語はまず最初に「大石最後の一日」が作られたそうで、あとから7年がかりでこのリアル版(当時としては)忠臣蔵は完成したそうです。
内蔵助の本心をわかりやすくするために(?)[[井関徳兵衛]]という浪人を登場させている。城明け渡しの夜、徳兵衛は落胆して割腹。虫の息の彼に本心を告げると悔しそうに城を去る。このときの吉右衛門良かった〜。
義士たちが泉岳寺を引き上げたあと、[[高田郡兵衛]]が槍を持って駆けつけるが[[堀部安兵衛|安兵衛]]にあらためて「遅い!お前りこうすぎ」とあらためていさめる。
あとは映画にもなってるそれなりにオリジナルなドラマが用意されてるが派手さは無く、丁寧な展開。 さて、はじめて見た時、最後の「[[元禄忠臣蔵 前篇・後篇|最後の一日]]と、それなりにオリジナルなドラマが用意されてるが派手さは無い。(討ち入り後、四家お預けになったあとの内蔵助の最後の日を描いている。)」が全体を通してみるといやにたっぷりして間延びしてるなと思ったし、内蔵助の登場シーンがいやにもったいぶられてると思ったが、実はこの「元禄忠臣蔵」というのはこの「大石最後の一日」が一番はじめに書かれたそうなんですね。で7年がかりでほかのを書き上げたと言う。 そう思って「最後の一日」を単品として見ると、今まで芝居で仮名手本が主流だった時代に、新歌舞伎なんつってこの「最後の一日」が上演された状況を想像するとおもしろく、当時やっぱ斬新なアプローチだったろうなと思った。どのセリフも興味深く聞けるし、ぶっちゃけ、ほかがあるとこれが霞むので、少なくとも通しでやらなくてもイイかなというくらい、なかなかイイ話であります。
通してやるなら、時系列じゃなくて、書かれた順っていうのもイイかもですな。
おもしろおかしく大胆にフィクションを入れた[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]と、本作品が混ざって、今われわれが映画やドラマで見る「忠臣蔵」が出来てるんですなあ。きっと、「最後の一日」があんまり良かったんでプロデューサーからほかも全部書いてって真山青果は言われたんじゃなかろうか。
真山青果作
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|2006]]

案内メニュー