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大高源五

サイズ変更なし, 2008年12月31日 (水) 02:49
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彼には江戸下りのときに伊豆で馬子・国蔵に言いがかりをつけられ、詫び状を書かされたエピソードがあるが、芝居などでは[[神崎与五郎]]のアクシデントとして書かれている(なんで?)。ちなみに大高が書いた詫び状は現存しているとも言われる(画像:右)。
元禄15年夏頃、[[浅野大学]]さんをヘッドにして倒産した赤穂藩を再興させてくれと幕府にお願いして、期待してたのに「ナシ」と言うことになっちゃって[[大石内蔵助|大石]]は討ち入りを決意するが、以前に「大石さんについていく」と言ってくれた藩士たちから集めた決心の念書「神文(しんもん)」をとりあえず[[貝賀弥左衛門]]と一緒にみんなに返してきてくれと、大高はお使いをたのまれる。返すと言うのは方便だが、その時黙って受け取るやつはメンバーから外し、逆上したものを正式メンバーに加えるという大石の計画であった。「神文返し」と一緒にみんなに返してきてくれと、大高はお使いをたのまれる。返すと言うのは方便だが、その時黙って受け取るやつはメンバーから外し、覚悟あるものを見極める大石の計画であった。「神文返し」
討ち入り前日、雪の中いつものように煤竹売りに流して歩いてるところに橋の上で浪人する前の俳句友達の[[宝井其角]]とバッタリ会ってひさしぶりに句を交わす。宝井「年の瀬や水の流れも人の身も」。大高「あした待たるるその宝船」。宝井は句の意味をあれこれ考える。

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