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神崎与五郎

サイズ変更なし, 2009年5月11日 (月) 17:17
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神崎与五郎【かんざき よごろう】…堪忍袋キャラ。
 
斬首になった武士の検死などする徒目付という低い身分。
風紀委員みたいにあら探ししてチクる役回りだそうで「武士の間ではうとまれる存在でございます(ミフネ大忠臣蔵)」。風紀委員みたいにあら探ししてチクる役回りだそうで「武士の間ではうとまれる存在でございます([[大忠臣蔵(NET)|ミフネ大忠臣蔵]])」。
メンバーの中では[[寺坂吉右衛門|寺坂]]をのぞけば最下位の[[三村次郎左衛門|三村]]の「一個上」の身分だが、切腹するとき順番を間違われて最後に回され、不満をいいながら死んでいった。
 
松の廊下事件の前の晩、江戸城での吉良のイジメを見かねた彼は内匠頭に「すいません、拙者をクビにしてください。吉良を殺しますから」と申し出る。内匠頭は感動して「心配かけてすまん。終わるまできっと我慢するから」と約束する。(が、事件は起こる)
 
 
 
== 神崎与五郎の堪忍袋 ==
この話は[[大高源五]]の逸話がアレンジされたとされるがどっちも虚説とされる。
でも講釈師は「今でも芸州家に堪忍三幅対として詫び状文が残っている」と見てきたような嘘をつく。
 
教訓「'''大きな志を持った者は、ささいな恥辱を意に介さない'''」
 
「神崎東下り」「吾妻下り堪忍袋」
 
 
兄・矢作は「…首尾良く主君の仇を討ち、神崎という奴は土百姓(どんびゃくしょう)のセガレだがあっぱれ武士(さむれえ)の鑑(かがみ)だ、えれえやつじゃと言われるよう…ウ、ウーム」と言って絶命。
 
江戸到着後は、諜報活動を熱心に続ける。麻布で「美作屋(みまさかや)善兵衛」を名乗り上杉家の麻布下屋敷を探った。その後前原と同居し「小豆屋善兵衛」。
 
享年38。
 
教訓「'''大きな志を持った者は、ささいな恥辱を意に介さない'''」
 
「神崎東下り」「吾妻下り堪忍袋」

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