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つか版・忠臣蔵

68 バイト追加, 2010年7月19日 (月) 00:33
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ドタバタ喜劇と紹介されてるんだけど…。ビデオパッケージにはドタバタ喜劇と紹介されてるんだけど、本作品はもっとシニカルなテーマをぶちまけている。
忠臣蔵を語る時に忘れてはならない「史実」と「虚構」であります。
この頃はまだ大衆は「おなじみの笑い」を歓迎していた。この「つか版」が公開になった同年のドリフ大爆笑のコントのネタは粒ぞろいである。とはいえ、新しいものに飢え始めてる頃でもあったようでもある。新番組「オレたちひょうきん族」にもチャンネルを合わせ始めているのだ。「元禄赤穂事件」VS「忠臣蔵」
そんな時代背景に生まれた本作品は、「お笑い」と言うにはこむずかしいセリフが並び、呑気に笑ってみていられる「喜劇」とはいささかおもむきが違う。見てるほうの体温が2度ほど上がる、強壮剤みたいな不思議な効力がある。
観客を楽しませよう、笑わせようというサービスよりも、演じてるほうが気持ちよがってる印象が強い。なんだか役者の芝居の自習を延々と見せられてる感じ。「コメディアンが客を笑わせようとしてる」のではなく、「利口そうな役者が「喜劇」という課題をクリアしようと一生懸命になって汗をかいている」かんじ。これじゃ笑えない。「喜劇」と言うには、ところどころユーモラスなだけで、まったく爆笑にはつながっていない。あくまで忠臣蔵やお笑いを楽しむと言うより「つかこうへいワールド」を楽しむために生まれてきた作品。
のべつ役者がぎゃーぎゃー言ってるか、オトボケふうの台詞のキャッチボールを繰り返す作風にはなんとなく「廊下フェチ」で少し足りない浅野内匠頭が梶川与惣兵衛につきとばされてそこにいた吉良に刃傷事件を起こし即日切腹。江戸の内蔵助は文盲の内匠頭のために[[宝井其角]]に辞世を依頼する。 失恋でへこんでいた其角はこれをきっかけに事件を芝居にしようと奮起し、上方の近松門左衛門に会いにいく。 この物語は風間杜夫演じる宝井其角(ここでは脚本家)の青春ストーリー。  うっかり本作品を「忠臣蔵」を見るつもりで見てしまうとつかの「ほかには無いだろこんなの!オレならこうするぜ」観ばかりがハナにつき、なんだか勉強してる片手間にセックスしてるつかを見せられてるような居心地の悪ささえ感じてしまう。 役者も'''ゆとりが無い観客を楽しませようというサービスよりも、つかこうへいを喜ばせようとがんばってる'''。汗びっしょりで、一見捨て身かと思うとどこかプライドが抜けなくて笑いに徹していない役者もいるし、とにかく笑いに不器用な時代の幕開け的な、ゆるい喜劇。かんじで「"喜劇"という課題をクリアしようと一生懸命になって汗をかいている」芝居の特訓を延々と見せられてるよう。 風間杜夫が慢性的に汗と涙とツバでベチョベチョになりながら、'''必死でひたむきなのが気の毒'''で、松坂慶子が素直な態度でがんばってるのがかいがいしい。 だからこれは「忠臣蔵」ではない。
風間杜夫が慢性的に'''必死でひたむきなのが気の毒'''で、松坂慶子が素直な態度でがんばってるのがかいがいしい。
放送の2ヶ月前に公開された映画「蒲田行進曲」もそんな印象だったなあ(演出家は違うけど)。これって「おなじみ」な芸風で、ファンにしてみれば「待ってました」てかんじで嬉しかったんだろうか。
劇中劇の大石内蔵助=岡本麗が印象によかった。
このあと、時代的には80年代半ばからバブルにかけて小劇団やアングラ演劇の人気がグイグイ出始め、おいやられるように「8時だヨ!全員集合!」や「吉本新喜劇」がすたれる。このあと、時代的には80年代半ばからバブルにかけて小劇団やアングラ演劇の人気がグイグイ出始め、おいやられるように「8時だヨ!全員集合!」や「吉本新喜劇」がすたれてゆく。
つかこうへいの個性と仕事ぶりには敬意を表して星ふたつ。
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1982]]

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