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元禄水滸伝

143 バイト除去, 2011年7月18日 (月) 04:57
編集の要約なし
個人的にこの映画をどう思ったかについては満足の星ふたつ「よろしいんじゃないでしょうか」なのだが、この映画を語るのについてはそう簡単に言い切れず、いささかややこしいバック・グラウンドも視野に入れなければいけない。個人的にこの映画をどう思ったかについては満足の星ふたつ「よろしいんじゃないでしょうか」なのだが・・
まず脱盟者を主役に立てた時点で、コレは「生きること」をテーマに掲げている事を意味する。ただ「[[最後の忠臣蔵]]」のような"赤穂浪士が生き残ることの皮肉"をおもしろがってるのではなく、あくまで「死なないで生きること」(=命)への賛美がうたわれる。内蔵助さえも討ち入り前日にみんなを集めて「人間として生まれた以上、誰しも満足のために生きたい。私も命を捨てずに済むものなら捨てたくはござらん」などとわざわざみんなのテンションを下げるようなことをメンバーを前にしてキッパリ言う。命)への賛美がうたわれる。 内蔵助さえも討ち入り前日にみんなを集めて「人間として生まれた以上、誰しも満足のために生きたい。私も命を捨てずに済むものなら捨てたくはござらん」などとわざわざみんなのテンションを下げるようなことをメンバーを前にしてキッパリ言う。
主役の小山田はラストで「強く生きていきます!」とガールフレンドに言うし、寺坂吉右衛門が討ち入りのあとで南部坂に報告に行くと「ちっともかっこいいこっちゃないんだから、ほかで討ち入りを吹聴しなさんなよ。生きろ。」と瑤泉院から釘を刺される。
だが、ここで「ナンセンス」とカンタンに言えないのが時代背景=さっき言ったややこしい背景でありまして、この映画がリリースされた1952年はそれまでは占領軍が上映禁止していた忠臣蔵モノの規制(復讐の肯定や謹皇な軍国主義に対する規制)が朝鮮戦争の影響でややこしいバック・グラウンドでありまして、この映画がリリースされた1952年といえば、それまでは占領軍が上映禁止していた忠臣蔵モノの規制(復讐の肯定や謹皇な軍国主義に対する規制)が朝鮮戦争の影響で?やわらいだ年である。とはいえ規制解除ホヤホヤのこの年では、まだGHQの顔色がうかがわないといけない時代だったんじゃないだろうか。(討ち入りの戦闘シーンもまるっきり無いし。)それがこの映画の特別な個性を作ってる気がする。やわらいだ年である。 とはいえ規制解除ホヤホヤのこの年では、まだGHQの顔色がうかがわないといけない時代だったんじゃないだろうか。('''討ち入りの戦闘シーンもまるっきり無い'''し。)それがこの映画の特別な個性を作ってる気がする。
それとも単純に、少女歌劇的な映画ばかり作ってた会社だからあえて毛色の違う忠臣蔵をやろうとしたのか。

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