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堀部安兵衛
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[[画像:horibe1.jpg|thumb|役者絵:木村拓哉]]
[[画像:horibe2.jpg|thumb|役者絵:渡哲也]]
[[Category:四十七士|ほりべやすべえ]]
たまたま移動中のカゴの戸を開け、安太郎とハタと目が合う安左衛門。黙って互いに見合わす顔と顔。
安兵衛はお家の悪人・川上主膳ら十数人を斬ったりしつつ、新発田で浪人中は樋口十郎左衛門のもとで念流の修行を積み、いよいよ江戸へ出て、菅野(松平左京太夫に再就職)を訪ねる。
(講談)
…上記のバリエーションが歌舞伎「高田の馬場 十八番切」にあり、義母・おみつの仇討ちは講談では15歳とか16歳いうことになってる安兵衛が元服前の子供になっている。一幕目では、幼少の安兵衛=安之助にはすでに父は亡く、未亡人である母親・おてるに思いを寄せた末にかなわぬ恋の遺恨から殺してしまう大道寺源十郎を成敗して子供ながらに天晴な仇討ちをする。
(地芝居 黒森歌舞伎にて鑑賞)
ホントの安さんは初代新発田藩主の溝口秀勝のひ孫に当たり、お母さんは芸者さんではなく秀勝の5女の娘でれっきとした由緒ある血筋であります。
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画像:IMG 1583.jpg |会津生誕説に基づく碑。(会津・貴徳寺)
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やがて八丁堀で長屋住まいをし始め、「ケンカ仲裁屋」をインディーズで開業。仲直りさせては酒をおごらせ飲んだくれる日々に[[菅野六郎左衛門|おじさん]]が時たま訪ねてきては説教をたれた。そんな生活が続く。
ある朝、飲み友達の糊売りのばばあ・おくまが言付かってた手紙から[[菅野六郎左衛門|おじさん]]の決闘を知り、裏の9尺(約3m)の高塀を飛び越え、ばばあのご飯を横取りしてテンションをあげ、八丁堀から高田馬場まで'''走って助太刀に駆けつける'''(でも遅刻)。おじさんは斬られるが18人(とも16人とも)やっつけて江戸中の大評判に。(でも遅刻)。おじさんは斬られるが18人(とも16人とも)やっつけて江戸中の大評判に。(講談 安兵衛駆けつけ)
子供からの人気もあり、のんだくれて道ばたで眠っていると子供たちが鼻の穴に指をつっこんで起こそうとする。そういう気のおけなさ。
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画像:SIBATA.jpg|thumb|新潟県新発田・安兵衛像。
画像:R0012172.JPG|thumb|東京、高田の馬場の碑。
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== 赤穂藩就職 ==
赤穂城倒産後、吉良邸付近で八百安(やおやすでのうてはっぴゃくやす)という名で野菜を売り歩き情報収集。水菓子屋に化けて上杉家の上屋敷を探ったりもした。その後長江長衛門と名を変えて道場経営。
長屋は浪士のたまり場で道場は討ち入り前の集合場所ということになってる(実際は[[蕎麦屋]]ではないようですな)。
(奥田、ヤスベエ、高田で江戸急進派トリオ、江戸表の三士)
<gallery>画像:Cyotokuji.jpg|thumb|中山家の菩提寺・長徳寺に2017年泉岳寺から分骨。</gallery>
* [[鳥居理右衛門]](殺害)
* [[清水一学]](友達で敵)
* [[荒川十太夫]](安兵衛の介錯人)