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斧定九郎
,編集の要約なし
== 扮装いまむかし ==
== 誕生秘話 ==
このおはなしに出てくる「[[与市兵衛]]を先にやっておいて、あとから濡れた傘を半開きにして一文字に飛んでいき、パッと傘を開いて見得を切る。弁当幕なんでみんなが舞台に集中せず下を向いて弁当を食べてるところへ黒いものがかすめていく(とか、濡れた傘ををクルクル回しながら走るので水がかかるとか)ので観客はハッとする」というシチュエーションは、現在の仮名手本忠臣蔵の五段目には一切出てこない。を先にやっておいて、あとから濡れた傘を半開きにして一文字に飛んでいき、パッと傘を開いて見得を切る。弁当幕なんでみんなが舞台に集中せず下を向いて弁当を食べてるところへ黒いものがかすめていく(とか、濡れた傘ををクルクル回しながら走るので水がかかるとか)ので観客はハッとする」というシチュエーションは、現在の仮名手本忠臣蔵(歌舞伎)の五段目には一切出てこない。
いまスタンダードなのは、与市兵衛が休憩していると背後の掛け稲から白い腕がぬぅっと出てきて50両を盗むという、実に静かで不気味な演出で、これは四代目市川団蔵が、与市兵衛と二役の早替わりを演じてまずセリフが無くなり(1781?)、白い手は七代目の団十郎(1791〜1859)が考案したとされ、明治時代に九代目市川團十郎が「五十両〜」のみにしたとか。
ちなみにこの「白い手〜早変わり/二役」バージョンは2013年12月の中村吉右衛門(2nd)の「知られざる忠臣蔵」公演・「忠臣蔵形容画合(すがたのえあわせ)」において中村歌六(5th)が再現したのが見られた。最終的に殺されてイノシシのようになった与市兵衛と舞うように闘う(どないやねん)。が再現したのが見られた。定九郎が殺されて'''イノシシのようになった与市兵衛'''と舞うように闘う(どないやねん…ッて思ってたら国立劇場制作部さんのアイデアによるバリエらしい)。
「『忠臣蔵』の定九郎のこしらへが仲蔵の考案のやうに伝へられていますけれど、実は五代目團十郎の創意なのです。」とあるそうです。
後塵の「'''太平記忠臣講釈'''」では定九郎が落ちぶれるキッカケが描かれている。
その影響を受けて作られた「'''忠臣蔵後日建前'''」には定九郎の奥さんの復讐劇「女定九郎」てのもあるそうです。」には、定九郎の奥さんの復讐劇「女定九郎」てのもある。
定九郎の女房・まむしのお市が山崎街道に独りでいるおかるの母親・おかやのところまでゆすりに行くが、おかやが実の母親と知ってお市が猟銃自殺するという「仮名手本」の後日譚(すげえな)。
また「'''菊宴月白浪'''(きくのえんつきのしらなみ)」(鶴屋南北原作)という作品ではどういう風の吹き回しか、討ち入りの1年後を描いた、定九郎が塩冶家のために忍術まで使っていろいろ力を尽くすというエピソード(パロディ作品)もある。(きくのえんつきのしらなみ)」(鶴屋南北原作)という作品ではどういう風の吹き回しか、討ち入りの1年後を描いた、定九郎が塩冶家のために忍術まで使っていろいろ力を尽くすというエピソード(もどき:パロディ作品)もある。
== 関連作品 ==
* 「[[「此村大吉」もの|朱鞘罷り通る]]」(東映)1956…中村仲蔵のハナシ
* 「[[中村仲蔵]]」/ 「[[五段目]]」(落語)
* 「大型時代劇スペシャル 忠臣蔵うら話・仲蔵狂乱」(ABC朝日放送)2000.12
少年時代から定九郎開発までの仲蔵のお話。市川新之助時代の海老蔵(11th)が若き仲蔵を演じる。泡沫のもらわれっ子仲蔵が差別されながらも役者を続け、雨で困ってる浪人をヒントに新しい定九郎像を思いつくのは定石どおり。落語に出てくる芝居小屋の様子(人足=稲荷町の楽屋がお稲荷さんの脇にあったとかそういうの)やむかしの定九郎の様子が映像で再現されてて愉快。(残念ながら五段目の演出は「白い手」になっちゃってる。)
新旧定九郎の変身よりも、V6の坂本昌行演じる仲蔵の親友・三太郎が年を取ると小林稔侍になるという大胆でアバンギャルドな変身のほうがエキセントリックだった(笑)。
原作は松井今朝子(「仲蔵狂乱」第八回時代小説大賞受賞作品 講談社刊)