花のお江戸の快男児 喧嘩安兵衛
作品概要 | |
制作会社 | 松竹? |
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公開年度 | 2024年 |
内蔵助役 | ーー |
評価 |
五木ひろしの歌手生活60周年、新歌舞伎座開場65周年、三木のり平が生きてたら100周年。
そういう、いろんな節目の公演。
元禄七年。上野寛永寺かいわい。花見客が賑わってるところへ「お犬様のお通りだぞぉ!」と、気炎を上げて現れるふたりの旗本奴(はたもとやっこ)。大きな犬(太郎丸:着ぐるみ)を引き連れ割り込んで、周囲に迷惑の波を広げていく。
そこに通りかかる、金貸しの用心棒をやってる浪人・清水一学(太川陽介)。彼は日頃から珍法「生類憐みの令」を疎ましく思ってるから、奴たちをおどかして追っ払う(鯉口をチャンとやるだけで太郎丸がビビるようすがコミカル)。
こんな冒頭で、ナレーションは神田伯山先生だし、着ぐるみ犬のユーモラスな所作はストレートに高齢の観客に刺さってるし、ああ、コリャ安心して見ていられそうだなと思ってるところへ、一学たち退場後、間髪入れず、喧嘩仲裁で飲み代を稼ぐ安兵衛(五木ひろし)のマネジメントをやってるお勘ばあさん(笹野高史)が大騒ぎで安兵衛を探しまわり、酔っ払いに絡まれてる若い娘(実は一学の妹:工藤夕貴)の難儀を堀部 幸(ほりべ さち:坂本冬美)が助けようとして悶着が大きくなりそうなところ(これが、お勘ばあさんのいう喧嘩)へ、念仏堂みたいなところから「なんだなんだやかましい〜」(たしかそんなかんじだった)と安兵衛、さっそうと登場!
気の強い幸の、安兵衛の助成を断るお転婆ぶりも、それじゃあお手並み拝見という安さんも(将来夫婦になるふたりはこれが初対面)、なんというか、人物がことごとくキャラが立ってて、登場とともにそつなくパーソナリティがイントロデュースされ、スムーズに観客のハートをつかんでいく。
そのまま、ふんだんなユーモアとともに物語は進み(第二場は、落語の「らくだ」になる。らくだはそのまま「らくだの馬」(曽我廼家寛太郎)だが、兄貴分の役回りが安さんになり、屑屋がお勘と幸になる。)、最後までヘンにメソメソした余計なお涙頂戴もなく(もっと言うと、こうした芝居にありがちな、作家の自己満足的な赤穂事件知識の詰め込みもなく)、気分がいいパッケージ。
演出が三木のり平さんで、お話は小野田 勇さん('66に「クレージーの大忠臣蔵」を書いてらっしゃるというが、見たかったなぁ!)ということで、面白くないわけがないんでしょうけど(もちろんお二方とも故人なので補綴という形で吉本哲雄氏、金子良次氏が入っている)、ほんとうに昭和を生きたクリエイターは、忠臣蔵で「どう遊ぶか」を心得てるし、見る側も誰が誰だかわかってるから、双方でお約束を楽しめた良い時代だったんだなーと思う。
(初見&忠臣蔵を詳しくない人には、じゃっかん登場人物過多で渋滞気味に感じることもあるかもしれないが。)
とはいえ「らくだ」の、死体をモチーフにする笑いが現代においてはちょっと特殊に映り、絶対に三木さんご存命の頃は爆笑だったろうと思われる決定的な箇所で場内が「シン」としてるのが、ちょっと印象的だった。
あたしには笑いもさることながら、死体の曽我廼家寛太郎と、それをおぶる武家の娘のきれいなおべべの坂本冬美の対照的な美醜のコントラストが、独特の倒錯的な妖艶さを醸していて、それがすごくツボだった。笑
さて、公演プログラム(パンフレット)によると、この「花のお江戸の快男児」は5度目の上演だそうで、初演から30数年。最後の公演から20年が経ってるという。(てことは最初の10年でずいぶんな密度で再演していたのだなあ。調べると20年前の公演でもお勘は笹野高史。そのときは明治座の公演で林与一がゲスト(たぶん一学役)。)
検索してみると「五木ひろし20周年記念特別公演」のパンフがネットオークションに出てて、それには「喧嘩安兵衛・侠客の詩」ってタイトルがついてて芦田伸介が特別参加してるのが見つかった。40年前にも別の形で安兵衛モノをやってるわけである。
珍しいところではモー娘。の「江戸っ娘。忠臣蔵」も安兵衛モノでプロデュースもしてるから、五木さん、よほど安兵衛ファンと見えます!
とにかく76歳という年齢を感じさせない、お見事な舞台でした。
<附言>
「らくだ」のシチュエーションで、なんの脈絡も関連性もなく「恐竜体操だ!」といって、場違いな恐竜の空気充填 膨張式きぐるみ(イベントとかでよく使われる市販品)が一頭、唐突に襖を開けて出てきておどけたり踊ったりするのが、途方もない違和感だった。
きっと、五木さんがなにかしら噛んでる案件なんだろうなと思いながら茫然と見ていたが、あとで調べてみると実際にそうらしく、30年前に地元・福井県のために歌ったものを2023年に福井商工会議所青年部が発掘し、また復活リリースしているらしい(要確認)。
ほかの楽曲に関しての、そういうプロモーションっぽいギャグとかが無いのも「恐竜体操」の浮き方を際立たせたし、背景にある事情には罪が無いが、ともかく三木のり平さんや小野田 勇さんが「絶対にやらなそうな」ぶっこみ方をしたのがクリアな違和感を生み、なによりその部分だけがひとつも面白くなかったのが印象を強烈にした。