花王名人劇場

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作品概要
制作会社 フジテレビ
公開年度 1989年
内蔵助役 芦屋雁之助
評価 3ツ星


おなじみの「松の廊下」〜「田村邸の切腹」〜「神崎東下り」〜「絵図面取り(ほんとは岡野金右衛門だが出演者不足による登場人物節約のため杉野十平次の蕎麦屋と混ぜたエピソード)」〜「くすや勢ぞろい」〜「討ち入り」を、東西のコメディアン=芦屋雁之助3兄弟、由利徹、関敬六、月亭八方、ぼんちおさむ、チャンバラトリオ、間寛平、宮川大助花子。ゲストスターに三波春夫(「元禄名槍譜」のダイジェストを披露)らが面白く仕立てた40数分(だいぶハサミが入ってるかんじ。&笑いも足されている)の舞台の公開番組。(一度閉鎖してた映画館をライブ会場として復活させた浅草・常盤座での収録。当時ここではロッキー・ホラー・ショーの再上映やら、本格ジャズ〜イカ天バンドのライブ、もりいくすおが後に30年からお世話になるカンコンキンシアター第1回公演など、放送当時なんでも受け入れてた。)


安定の芸達者揃いぶみ(当時一番若手の大助花子もこの時点で10年選手)で間や掛け合い、アドリブがさすがに申し分なし。令和の時代に見ても笑えるパッケージ。

くすおがこれを記述する10年ほど前「女と男の忠臣蔵」について調べ物をしててこの番組の存在を知ってから見たくてしょうがなかったがなすすべもなく…。そんなある日、吉本芸人が出てる回だけの「花王名人劇場」をBSよしもとが放送してくれることで念願がかなった。

季節はずれの2023年9月頭に放送されたが、本放送も1989年8月13日という暑いさなかの放送だったようだ。

おなじみのエピソードをベースに細かくギャグやオフザケを乗っける感じで、たとえば松の廊下のもめごとは浅野内匠頭の月亭八方に対し由利徹の吉良上野介が阪神タイガースの悪口を言って刃傷になるとかユルめだが、「神崎東下り」などは雁之助が浪花節を披露し、浪曲劇で見せてくれる。


とにかくすごく気楽に見ていられるパッケージ。


さて、「令和の時代に見ても笑える」とは申し上げたものの、当時(昭和64年/平成元年)のお茶の間はどうだったろう…

この年にダウンタウンが本格的に東京進出を始め、前年には「とんねるずのみなさんのおかげです」がレギュラー放送を開始しているという、まったく新しい笑いの時代が来ようとしている端境期(「全員集合」はとっくに終了しており「ひょうきん族」はこの放送年に終わり、「吉本新喜劇やめよっカナ?キャンペーン」が開始された年である)の制作。

時代もバブル到来でイケイケのときに、芦屋小雁の多門伝八郎が「シェップクモウシチュケルモノデチュ」とアホ声で上意書きを読み上げるオフザケは、いまでこそ面白いがこのゆるさは当時のお茶の間にどう写ったか。ビミョーだったかもしれないと推測する。

それにしても関東勢がいかにも弱い!由利徹(68)のほかに関敬六(61)と橋達也(52)…ベテランばっかしか出てない。舞台に呼べるような戦力となる人気の若手がいないのである。

とにかく21世紀になるまでルミネや東京NSCは存在しないし、よしもと以外から呼ぶにしてもラ・ママ新人コント大会から出たスターが頭角を現し、ボキャ天などでお笑い第4世代が活躍を始めるのも90年代に入ってからなので、舞台のお笑いにとってはまさに暗黒の時代。


この花王名人劇場はこの放送があった翌年に幕を閉じている。この9年前から同番組内でスタートしてすっかり屋台骨となっていたドラマ「裸の大将」シリーズの山下清役で人気者の芦屋雁之助を今回、神輿に乗っけてひさびさに彼にがっつりコメディを演ってもらおうというのは粋な企画と思うが、なかなかいろいろむずかしい時代ではなかったろうか。


<附言>

令和5年のBSよしもとの放送では「オカマ」というワードが無音処理されている。