田村右京大夫
田村右京大夫【たむら うきょうだゆう】
岩手県・一関(いちのせき)の殿様。自分ちの庭を浅野の切腹場ってことにされた人。やっぱ相当慌てたようです。
結局庭先の「おばけ銀杏」の下を会場にされた。
高輪の泉岳寺には、田村邸の切腹会場にあったとされる、「血染めの梅」なる木が植えてありますが、銀杏じゃなく、梅なの?
切腹前に浅野内匠頭に面会したがる片岡源五右衛門を「無言&無刀」で入場を許す役はたいてい多門伝八郎だが、ドラマによっては、「よろしかろう」的なお許しをこの田村さんが言ってたりする。(浪曲なども)
「元禄繚乱」では多門と田村と二人で許可している。その逆に庄田安利(検死の役人)側について陰険な役だったりするドラマもあり、描かれ方はまちまち。
実際は、田村家は浅野家とは因縁のある(仲が悪い)伊達家の分家筋なので(&田村さんの奥さんは伊達左京亮の家系)、「お宅で切腹よろしく」とか言われて、超迷惑に感じたかも。
松之廊下事件当時、たまたま詰め所にこの田村さんだけいて(ほかの当番は事件を聞いて飛び出していっちゃった)、部屋を覗いた老中に言われて浅野内匠頭を預かることに。
急いで帰って、突貫工事だが内匠頭用に部屋をリフォームしてしつらえ、江戸城に人を手配し、内匠頭を籠に乗せてまた連れて帰ってくる。
16時頃に到着して、たった小一時間で「その人切腹」とお達しがあり(もう、搬送中に将軍が厳命)、リフォーム徒労…。大あわてで田村家の家来たちが介錯用の刀や切腹の小脇差とかを選んだが、殿様の秘蔵刀だったりして怒られたという。(介錯は幕府のお役人の持ってるので間に合ったが、切腹に使った脇差しは、あとで研ぎに出した。)(浅野長矩御預之扣)
庭先を切腹場所としたのは田村さんもどうかと思ったが、大目付の庄田さんが「それでいい」と言うので決行。
講談では切腹のあとで伊達家の殿さま・松平陸奥守がお屋敷(現在の汐留日テレ付近)に田村を呼び出し、
「なんで庭先の切腹なんか許した?朝鮮の闘いの時から当家と浅野家は不仲だから、恨み遺恨があるから庭で腹を切らせたと世の人々に言われたらなんとする。なんでその節、予に相談をせん!」
とブチ切れ、以降田村と面会謝絶する。
新橋に屋敷跡地があり「浅野内匠頭終焉之地」として碑がある。
もりいのデザイン学校の先輩(三代目渡辺社長がパイセン)・新正堂さんは大正時代から田村邸跡地で和菓子屋さんを営んでおり、エピソード由来の「切腹最中」という珍菓子を売って成功。いまでは押しも押されもせぬ東京銘菓となっています。もりいは義士ようかんというお菓子のパッケージでお手伝いさせていただきました(切腹最中も義士ようかんも絶賛好評発売中)。
新正堂さん http://www.shinshodoh.co.jp/index.htm
田村右京太夫
関連項目
- 浅野内匠頭(自分ちの庭先で切腹することになった赤穂の殿様)
- 片岡源五右衛門(面会を懇願した内匠頭の家来)
- 多門伝八郎(その、最後の面会を許してくれた検死役)