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+ | * [[元禄美少年記]](松竹)1955 |
2017年12月30日 (土) 05:06時点における版
矢頭右衛門七【やとう(orやこうべ/やがしら)えもしち】…ヤングキャラB(大柄)。貧乏。
若すぎるんで除外されるはずだったが、事件後最初の大会議(評定ひょうじょう)の際、病気の父親の代理で来て「ふつつかながら父に代わってご評定に」と願い出て血判のときは末席に加えてもらってる。
こう言うと代理で「巻き込まれた」感が強くなるが「若いから帰れ!?…えーそんじゃそんじゃあ主税様は??ヒイキです!少給微禄だからって身分差別してる。主税様、差し違えて死にましょう。ご覚悟遊ばせ」と主税の胸ぐらつかんで差し添いを引き抜いて積極的にアピール。内蔵助はおどろいてOKを出しメンバーにしている。
浪曲の「赤穂城明け渡し」のように右衛門七が指摘するヒイキ説に納得した内蔵助が主税を除名しようとするので、憤慨した主税が「お前がよけいなことを言うからオレまで巻き添え食ったじゃないか。お堀端で刺し違えよう!」「はい!若様!」と主税のほうからの逆アピールのバージョンもある。
病気のお父さんは間もなく他界。評定(会議)に出られないってことですぐ切腹したという演出もある。
母は、右衛門七と一緒に関東へ下向を始めるが、東海道新井の船改めの関所で手形が無いことから母だけ通れず、引き返して大石>瀬尾孫左衛門と世話になって赤穂の知人のところに行き、長寿をたもって大往生を遂げた。…という説があるかと思うと、逸話によってはこの関所で母は足手まといにならぬよう自害したり、はなから右衛門七と同道せず、見送ったすぐあとに自害するドラマもある。もっと手前の、評定のあとにお父さんが自害をするので右衛門七用に死に装束を仕立てたあとに自害して右衛門七が介錯するという浪曲もある。
死んだお母さんが縫ってくれてた死に装束を着て討ち入りをするのでドラマチック。
また、妹が右衛門七がお預け(拘留)になってる水野家にお母さんの縫った襦袢を持ってきたけど往生してるのを出入りの医師山口左全が見かねて、内緒で対面をさせたという逸話がある。わりとそのまま「ミフネ版」で、またアレンジが加わって「女たちの忠臣蔵」で映像化されている。
妹さんのお墓は埼玉県・川越 見立寺(けんりゅうじ)にあるそうです。
「義士に女がいる」と言われるほどの眉目秀麗の美少年だったとか。そのドラマの制作当時に光ってる若者がキャスティングされることが多いようで松竹「大忠臣蔵」57では若き松本幸四郎が演じ、「ミフネ大忠臣蔵」では田村正和。「元禄繚乱」では今井翼が演じた。
彼をモデルにした佐藤与茂七というキャラは「東海道四谷怪談(忠臣蔵のスピンオフ)」でお岩さんにひどいことをした赤穂藩浪人、民谷伊右衛門をやっつけるヒーロー。
享年17。
関連項目
関連作品
- 元禄美少年記(松竹)1955