「元禄忠臣蔵 前篇・後篇」の版間の差分
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[[画像:Isokai.jpg|thumb|役者絵:河原崎国太郎]] | [[画像:Isokai.jpg|thumb|役者絵:河原崎国太郎]] | ||
− | 情報局国民映画参加作品。真珠湾攻撃の1週間前に封切りされている。 <small> | + | 情報局国民映画参加作品。真珠湾攻撃の1週間前に封切りされている。 <small>(※註01)</small> |
玄人向けで'''かなりハードルが高い'''。 | 玄人向けで'''かなりハードルが高い'''。 | ||
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− | 松の廊下や細川家のお屋敷がオープンセット(に見える)だったりと、セットが意外に豪華。<small> | + | 松の廊下や細川家のお屋敷がオープンセット(に見える)だったりと、セットが意外に豪華。<small>(※註02)</small> |
ところどころ史実や講談の要素を混ぜてるが、ほとんど原作の新歌舞伎をかなり忠実になぞっている。 | ところどころ史実や講談の要素を混ぜてるが、ほとんど原作の新歌舞伎をかなり忠実になぞっている。 | ||
− | 本作品では忠臣蔵でおなじみのシチュエーションが、ほかの作品では見られない場面表現で工夫され、一風変わってひじょうに斬新。カメラワークや構図、演出も「へー」と思うところもあり<small> | + | 本作品では忠臣蔵でおなじみのシチュエーションが、ほかの作品では見られない場面表現で工夫され、一風変わってひじょうに斬新。カメラワークや構図、演出も「へー」と思うところもあり<small>(※註03)</small>、おとなっぽい監督が撮ってるなあとも思っていたら、巨匠溝口健二のブレイク前(ですか?)の作品だった。 |
ただ、その「見せ方の工夫」はおもに前編に偏ってございまして、後編は「御浜御殿」「南部坂」「大石最後の一日」と原作通り続き、話が進むにつれてどんどんと画面の動きが無くなっていく。 | ただ、その「見せ方の工夫」はおもに前編に偏ってございまして、後編は「御浜御殿」「南部坂」「大石最後の一日」と原作通り続き、話が進むにつれてどんどんと画面の動きが無くなっていく。 | ||
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「仇討ち」という殺伐としたストーリーをロマンスで締めくくるという、つやっぽい原作は非常に品があってよろしい。しかしこんなにまで「映画的」な演出を避け、淡々と撮ることに徹することに当時の観客は喜んだだろうか??どうも制作意図が読めない。 | 「仇討ち」という殺伐としたストーリーをロマンスで締めくくるという、つやっぽい原作は非常に品があってよろしい。しかしこんなにまで「映画的」な演出を避け、淡々と撮ることに徹することに当時の観客は喜んだだろうか??どうも制作意図が読めない。 | ||
− | じつは監督はイヤイヤ「忠臣蔵」という課題に取りかかってる気さえする<small> | + | じつは監督はイヤイヤ「忠臣蔵」という課題に取りかかってる気さえする<small>(※註04)</small>。だって討ち入りシーンを台詞で処理するなんて前代未聞だもの。 |
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− | + | ※註01…「[http://www.jmdb.ne.jp/ 日本映画データベース]」によるとそういうことになってるが当時、美術を担当した進藤兼人の回顧によると封切りは12月14日であり、8日の真珠湾攻撃のあとでちまたは映画どころではなかったらしく封切り時の「客はまばらだった」としてある。折も折だったが、スター不在&討ち入りのない本作は興行的にはもうひとつだったと、佐藤忠夫氏は言っている。(両コメント共に、キネマ旬報No/1145) | |
− | + | ※註02…リアリズム作家・溝口監督とスタッフのこだわりで実際の江戸城の図面からリアルに実寸の松の廊下が(映画1本撮れそうな巨費を投じて)再現されたという。 | |
− | + | ※註03…「西洋絵がクローズアップによる一点の凝視と焦点化に重きをおいてるのに対し、日本絵画は「全体的画面構成」によるロングショットを基調とし、同じ画面の中に複数の中心を持ち込んでいる」と言い、「洛中洛外図」の構図を理想とし、広重にうっとりしている監督だったとか。(「日本映画史100年」) | |
− | + | ※註04…忠臣蔵友達からうかがってあとで知ったのだが、本作はやはり、戦意高揚映画を撮らなければいけない時代に監督は芸術家として納得できず、遂にネタとして妥協できたのが本作だったそうである。 | |
「忠義と復讐と玉砕精神の賛美であるし、原作者の真山青果は大石内蔵助の朝廷への熱い忠誠心のために苦悩していたというエピソードまで付け加えている」(映画『元禄忠臣蔵』パンフレットより) | 「忠義と復讐と玉砕精神の賛美であるし、原作者の真山青果は大石内蔵助の朝廷への熱い忠誠心のために苦悩していたというエピソードまで付け加えている」(映画『元禄忠臣蔵』パンフレットより) |
2021年6月19日 (土) 01:20時点における版
作品概要 | |
制作会社 | 松竹 |
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公開年度 | 1941年 |
内蔵助役 | 河原崎長十郎 |
評価 |
情報局国民映画参加作品。真珠湾攻撃の1週間前に封切りされている。 (※註01)
玄人向けでかなりハードルが高い。
原作は新歌舞伎「元禄忠臣蔵」1934。出てるのは前進座の人ばっかり。
松の廊下や細川家のお屋敷がオープンセット(に見える)だったりと、セットが意外に豪華。(※註02)
ところどころ史実や講談の要素を混ぜてるが、ほとんど原作の新歌舞伎をかなり忠実になぞっている。
本作品では忠臣蔵でおなじみのシチュエーションが、ほかの作品では見られない場面表現で工夫され、一風変わってひじょうに斬新。カメラワークや構図、演出も「へー」と思うところもあり(※註03)、おとなっぽい監督が撮ってるなあとも思っていたら、巨匠溝口健二のブレイク前(ですか?)の作品だった。
ただ、その「見せ方の工夫」はおもに前編に偏ってございまして、後編は「御浜御殿」「南部坂」「大石最後の一日」と原作通り続き、話が進むにつれてどんどんと画面の動きが無くなっていく。
特徴的なのが「討ち入り」。この映画には原作通り討ち入り場面が無い。ただ、討ち入りがどんなようすだったかは観客に伝えようとする。ここが原作と違うところなのだが、じゃあそのようすをどう伝えるかというと、瑤泉院のところに届いた吉田忠左衛門からの書状を戸田局が講釈師ばりに朗々と読み上げるという方法に打って出る。その間瑤泉院と戸田の局のツーショットが延々と続く。鑑賞者は戸田の「物置のようなところに人の声これあるようにこころづき、武林唯七、間十次郎、槍の石突にて戸を打ち破り…」という台詞を聞きながらフムフムとビジュアルをアレコレ想像しなければいけない。
高いでしょ、ハードル。
討ち入りのあと、お預けになってる細川家屋敷が舞台の「最後の一日」は見せ場なはずなのだが、ここに来て遂に画面は全編を通じてもっとも動かなくなる。
礒貝十郎左衛門のフィアンセ(高峰三枝子が美少女)が男装してまで彼に逢いにくるという原作の映像化なのだが、舞台なら回想シーンといえどいちいち場面転換出来ないから、なんでこの女が男装までして潜り込んできたかのいきさつを会話で処理しなくちゃいけないわけだが、なんとこの映画もそれをなぞっちゃうので画面上は押さえ気味の演技もあいまって淡々としており、相当トシをとってからでないとこの味わいはいささか退屈かもであります。
「仇討ち」という殺伐としたストーリーをロマンスで締めくくるという、つやっぽい原作は非常に品があってよろしい。しかしこんなにまで「映画的」な演出を避け、淡々と撮ることに徹することに当時の観客は喜んだだろうか??どうも制作意図が読めない。
じつは監督はイヤイヤ「忠臣蔵」という課題に取りかかってる気さえする(※註04)。だって討ち入りシーンを台詞で処理するなんて前代未聞だもの。
ストレートには面白いと思えないのだが、それは作品のせいではなく自分のせいだと思わせてしまう貫禄がある。実際は淀川長治先生は「松竹映画 オールタイム・ベスト10」に本作を選んでらっしゃるほど評判が良い作品だし。
素直に感想を言っちゃいけなさそうな、その荘重さに負けて、なんとなく星ふたつ。
(#^o^#)
元禄ヘアスタイルがリアル。(<なんて書いてたら、それどころか本作は武家建築考証、民家考証。風俗考証、史実考証まで一流の先生にアドバイスしてもらってるとか)
補足
※註01…「日本映画データベース」によるとそういうことになってるが当時、美術を担当した進藤兼人の回顧によると封切りは12月14日であり、8日の真珠湾攻撃のあとでちまたは映画どころではなかったらしく封切り時の「客はまばらだった」としてある。折も折だったが、スター不在&討ち入りのない本作は興行的にはもうひとつだったと、佐藤忠夫氏は言っている。(両コメント共に、キネマ旬報No/1145)
※註02…リアリズム作家・溝口監督とスタッフのこだわりで実際の江戸城の図面からリアルに実寸の松の廊下が(映画1本撮れそうな巨費を投じて)再現されたという。
※註03…「西洋絵がクローズアップによる一点の凝視と焦点化に重きをおいてるのに対し、日本絵画は「全体的画面構成」によるロングショットを基調とし、同じ画面の中に複数の中心を持ち込んでいる」と言い、「洛中洛外図」の構図を理想とし、広重にうっとりしている監督だったとか。(「日本映画史100年」)
※註04…忠臣蔵友達からうかがってあとで知ったのだが、本作はやはり、戦意高揚映画を撮らなければいけない時代に監督は芸術家として納得できず、遂にネタとして妥協できたのが本作だったそうである。
「忠義と復讐と玉砕精神の賛美であるし、原作者の真山青果は大石内蔵助の朝廷への熱い忠誠心のために苦悩していたというエピソードまで付け加えている」(映画『元禄忠臣蔵』パンフレットより)