ただなー… このストーリーはウォーレン・ベイティの「天国から来たチャンピオン」みたいな、イヤなじじいに別人が乗り移る(今回の場合は影武者が身代わりをするのだが)ことでパーソナリティが変わり、それでこれまでそのじじいを敬遠してた人たちの心変わりや周囲の環境の変化とともにそれがハートウォーミングなラストへ繋がっていくパターンなのだが、コレに関してはじゃっかん(こっちの勝手な)期待に反して着地がゆるかったように思う。 せっかく最近にしては珍しく吉良を徹底した「傲慢でイヤミたっぷりな」「悪口を大声で言う」(<セリフより)ようなキャラにしていて、身代わりになったあとは「(お陰で)お家全体が明るくなった」(<セリフより)つってるわりに、なぜかもともと吉良邸内では家来に慕われるような描写があったり、子供たちがなついてきたりするシーンがあるから、身代わり前後のコントラストが弱く、言ってることとやってることの矛盾をいささか感じるのだ。
でもそれは評価に影響するほどではなくて、そんなことよりも、吉良邸のスタッフにも映画鑑賞者にも良い人として受け入れられちゃった吉良を最後絶対に死なせなきゃいけないのに、どうするんだろうと思ったが、その工夫がおもしろかった。
このストーリーはウォーレン・ベイティの「天国から来たチャンピオン」みたいな、イヤなじじいに別人が乗り移る(今回の場合は影武者が身代わりをするのだが)ことでパーソナリティが変わり、それでこれまでそのじじいを敬遠してた人たちの心変わりや周囲の環境の変化とともにそれがハートウォーミングなラストへ繋がっていくパターンなのだが、(こっちの勝手な)期待に反して着地がゆるかったように思う。
せっかく最近にしては珍しく吉良を徹底した「傲慢でイヤミたっぷりな」「悪口を大声で言う」(<セリフより)ようなキャラにしていて、身代わりになったあとは「(お陰で)お家全体が明るくなった」(<セリフより)つってるわりに、なぜかもともと吉良邸内では家来に慕われるような描写があったり、子供たちがなついてきたりするシーンがあるから、身代わり前後のコントラストが弱く、言ってることとやってることの矛盾をいささか感じるのだ。(でもそれは評価に影響するほどではない) ただなー…
実はそういう、気にならないていどの細か〜いほころびがちょいちょいあって 上記のような、気にならないていどの細か〜いほころびがちょいちょいあって<small>(注釈01)</small>、あまりに細かすぎるので「ま、いいか」とやり過ごして見ているうちにチリは積もり、ラストの市街戦のとある演出の(パンフレットにも書いてあるから、その内容を言ってもかまわないとは思うがくわしくは後日あらためます)、そのあまりのことにそれまでのほころびが急に見過ごせなくなってビリッと一気に破ける感があった。(でもそれは評価に影響するほどではない)
たぶんこの市街戦についてはいろんなアイデアが百出したんだと思うが、コメディとして成立させるためにこうするよりしかたがなかったんだろうか?