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この作品は、これまで他社(東映や大映)の忠臣蔵映画の興行成績が首位だったのに比べると、公開当時、かろうじてベストテンに入っているものの下位で振るわず、『キネマ旬報』誌上では「柄にもない」「まともすぎる」と酷評されていたそうである。 この作品は、これまで他社(東映や大映)の忠臣蔵映画の興行成績が首位だったのに比べると、公開当時、かろうじてベストテンに入っているものの下位で振るわず、当時の『キネマ旬報』誌上では「(「用心棒」とかで)時代劇に新風を巻き起こした東宝が東映と変わるところがない」「まともすぎて仕掛けがない。立派すぎるんだ」「つまり東宝は柄にもないことをやったわけだ」と酷評されている。この記事では、東宝の藤本真澄プロデューサー/専務(当時)は「客が悪い」と言い、雨宮恒之(営業取締役)は「作ることに意義がある」と言ったという。<small>(No.329号通巻1144号「1962年のトピックを語る」より、井沢淳(朝日新聞)、高橋英一(時事通信)ほかの談話)</small>。
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[[画像:scenario.jpg|thumb|シナリオ決定稿]]
(そうは言っても、不振の映画界において当時、東宝は一人勝ち状態<small>(註06)</small>だったので、“忠臣蔵映画はえてして、会社が絶好調のときに制作される”というセオリーにはきちんと則っていたのだが。)