「をんな忠臣蔵」の版間の差分

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とはいえ、ドタバタ喜劇ではなく楽しい舞踊劇。
 
とはいえ、ドタバタ喜劇ではなく楽しい舞踊劇。
  
もとは「名古屋をどり」という舞踊公演だったらしいが、昭和48年にアレンジされ、当時の長谷川一夫や梅幸、勘三郎が公演したという。全八幕。
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もとは「名古屋をどり」という舞踊公演だったらしいが、昭和48年にアレンジされ、当時の長谷川一夫や梅幸、勘三郎が公演したという。全八幕。<small>(註01)</small>
  
  
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短く整理されたストーリーの合間合間に踊りが入る仕掛け。
 
短く整理されたストーリーの合間合間に踊りが入る仕掛け。
  
復讐劇は殺伐としたものではなく、仲間で一緒に老中に掛け合おうというものだが、これも頭領・おいしが松平確堂にとりいって、大久保玄蕃の悪事をさらしてハッピーエンドとなる。
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復讐劇は殺伐としたものではなく、仲間で一緒に老中に掛け合おうというものだが、これも頭領・おいしが松平確堂にとりいって、大久保玄蕃の悪事をさらしてハッピーエンディングとなる。
  
  
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「大奥」のドラマほど衣装代がかからないから、それこそ名代の女性タレントで、いやサ、AKB48あたりでドラマ化してもらいたいものであります。本作の「踊り」部分を「歌」に変えてさ。
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「大奥」のドラマほど衣装代がかからないから、それこそ名代の女性タレントで、いやサ、AKB48あたりでドラマ化してもらいたいものであります<small>(2010年12月12日現在)</small>。本作の「踊り」部分を「歌」に変えてさ。
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註01…このレビューは1997年/平成9年8月の歌舞伎座公演の録画を「衛星劇場」で見たので松竹配給と書きました。でも、「長谷川一夫が昭和48年にアレンジ」(←コレ、なにを見て書いたのか失念。衛星劇場の解説?)…って言うと、もともとは"東宝歌舞伎"ですな。
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1964年02月大阪・新歌舞伎座でも「をんな忠臣蔵」の上演したと、「Kabuki on the web」の記録にもあり、長谷川一夫も出ている。ちょいちょい演っていたらしい。
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Wikioediaによれば、1963年に、水谷八重子絡みで新派ともめた大阪・新歌舞伎座では、同年12月に東宝と提携し、松本幸四郎率いる「東宝劇団」が公演を始めたという。<small>(「演劇」東宝・松竹の演劇攻防戦 1963年8月号 芸能発行所)</small>

2025年11月28日 (金) 17:24時点における最新版

作品概要
制作会社 松竹
公開年度 1997年
内蔵助役 板東三津五郎
評価 3ツ星


江戸の芸者にお話しを置き換えた、仮名手本忠臣蔵のパロディ。

とはいえ、ドタバタ喜劇ではなく楽しい舞踊劇。

もとは「名古屋をどり」という舞踊公演だったらしいが、昭和48年にアレンジされ、当時の長谷川一夫や梅幸、勘三郎が公演したという。全八幕。(註01)


時代背景は、老中・水野忠邦がぜいたく禁止令を出していた頃の江戸時代。あちこちの岡場所がとりつぶしの危機にさらされていた。

水野に近い大久保玄蕃という役人が、権力を笠に山谷堀の芸者・おはん(=判官)に猛アプローチをかけるがふられてしまう。かわいさ余って憎さ百倍。仲町の芸者・直次(=師直)といっしょにお座敷でおはんにさんざん恥をかかせる。

お座敷はしくじるし、山谷堀もおとりつぶしが決まり、すっかり自分のせいではないかと思い詰めたおはんは自殺してしまう。

姉芸者おいしをはじめ、山谷堀の芸者達は復讐を誓う。


おもにオリジナルの三段目、四段目、五段目、七段目、十一段目の引き揚げがなぞられている。

短く整理されたストーリーの合間合間に踊りが入る仕掛け。

復讐劇は殺伐としたものではなく、仲間で一緒に老中に掛け合おうというものだが、これも頭領・おいしが松平確堂にとりいって、大久保玄蕃の悪事をさらしてハッピーエンディングとなる。


忠臣蔵のリメイクは映画などではお話しのほうをどう撮るかに執着するが、この歌舞伎はオリジナルの仮名手本の「カタチ」をどうトレースするかがこだわられており、男ばかりのドラマが女性ばかりに置き換えられて、見かけが「同じなのに違う」という、たいへんいろどり豊かなビジュアルに仕上げていて、目が楽しい。


「大奥」のドラマほど衣装代がかからないから、それこそ名代の女性タレントで、いやサ、AKB48あたりでドラマ化してもらいたいものであります(2010年12月12日現在)。本作の「踊り」部分を「歌」に変えてさ。


註01…このレビューは1997年/平成9年8月の歌舞伎座公演の録画を「衛星劇場」で見たので松竹配給と書きました。でも、「長谷川一夫が昭和48年にアレンジ」(←コレ、なにを見て書いたのか失念。衛星劇場の解説?)…って言うと、もともとは"東宝歌舞伎"ですな。

1964年02月大阪・新歌舞伎座でも「をんな忠臣蔵」の上演したと、「Kabuki on the web」の記録にもあり、長谷川一夫も出ている。ちょいちょい演っていたらしい。

Wikioediaによれば、1963年に、水谷八重子絡みで新派ともめた大阪・新歌舞伎座では、同年12月に東宝と提携し、松本幸四郎率いる「東宝劇団」が公演を始めたという。(「演劇」東宝・松竹の演劇攻防戦 1963年8月号 芸能発行所)