通し狂言 仮名手本忠臣蔵

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作品概要
制作会社 松竹
公開年度 いろいろ年
内蔵助役 松本白鴎ほか
評価 5ツ星


 この項では寛延元年(1748年)に初演されてからいまに続く人形浄瑠璃および、それを元ネタとした歌舞伎について記述いたします。

 レビューのサイトなのでストーリーにはそんなに詳しく触れておりません。


 言わずと知れた、赤穂事件を芝居にした名作フィクション。

 メインライター竹田出雲、サブ並木千柳、連作者三好松洛。一緒に作るのではなく、段ごとに担当してるせいかキャラクターに統一性がないと感じられることもある。(たとえば三段目で古今集の歌で簡潔にセクハラおやじに肘鉄を食らわす才女・顔世御前が、七段目では読むのがはかどらないほど文章がダラダラしているなど)

 「江戸時代当時の大人の事情」で、ストーリー的には、なんとなく赤穂事件だが、ほっとんどオリジナルエピソードで、時代設定やキャラクターの名前も、全部変えてある。たとえば、主役の名前は大星由良之助など。

 陰陽が一幕ごとに変わりまして絢爛。すさまじいところもあれば、ところどころカワイイ。シモネタも忘れないという「グロテスクで素朴でユーモアをたたへた悪趣味きはまる(三島由紀夫談w)」実に不思議なエンターテインメント。

 歌舞伎はフランチャイズなので、関東と関西では演出がじゃっかん違ったりする。(様式美の江戸。写実的な上方)


 ちなみに市販の歌舞伎のDVD(ちょっぴり字幕が間違ってたりする)には9話ぶんのエピソードだけ、とびとびに収録されていて完全ではありません。それでも全部見ると10時間くらいになる。

 歌舞伎の興業では通しで上演されることは珍しく、たいがいどれかの段が単品で上演される。二段目、十段目などの上演がまれ。

 一方、人形浄瑠璃のDVDは原作たる面目を守り、全段が入っております。(両方共に、NHKエンタープライズからリリース)


 ちなみに、タイトルに「忠臣蔵」の三文字が入ってるから、この作品が映画やドラマの原作になってると勘違いする人が後を絶たないが、ビックリするほど、映画でお馴染みの忠臣蔵劇と関係がない。=「仮名手本」が原作の映像作品は極端に少ない。(最下段「関連作品」ご参照のこと)



口上人形

 歌舞伎版「仮名手本」において、いっとう最初に裃姿の人形が登場するOverture。

 首を回してエヘンエヘン言いながら主演者の説明をする。わりと悲劇が続く仮名手本なのにめちゃめちゃ愉快。元が人形浄瑠璃だった名残(ちなみに文楽では口上は人間がやる。)。

 2020年のオンライン「図夢歌舞伎」では、この人形が生配信のストーリーテラーだった。(市川猿弥2nd)

 こういう「強弱」が仮名手本忠臣蔵はちょいちょい出てくるが、なんというか、かわいいセンスがすごい。五段目のイノシシとか八段目の遠くの嫁入り行列とか、急に柔和なキモチになります。魅力のひとつでしょうなあ。歌舞伎DVD未収録。


※ちなみに口上は大序が始まる前(つまり上演時間と案内されてる時間より早く)に始まるので、劇場では早めに着席いたしましょう。


大序(だいじょ)

「鶴ヶ岡八幡宮の場」。

兜改め

 鶴岡八幡宮のリフォームを祝ってのイベント中、偉いじいさん高師直(こうのもろなお/こうのもろのお)と接待係の桃井若狭助がヘンな空気になる。最初は、いじめられるのがあとで刃傷を起こす塩冶判官ではないという、興味深いアレンジ。

 「プロローグ!」てかんじでパーッときれいなビジュアルが印象的。幕が開くとおばさんのお客さんが「ふぁ〜」と喜ぶ。

 文楽版(がオリジナル)を見たら舞台構成がまったく同じなのでおもしろかった。歌舞伎はオリジナルを意識してか、最初はうつむいて動かない演者がだんだん人形に魂が入っていくように徐々に顔を上げて動き出すという、ワクワクする演出(人形ぶり?人形身?)。今で言えば、漫画が実写になったイメージ。(だいじょ、という言い方も人形浄瑠璃のかんじ)


 ご通家には些細な事であり?、ピックアップは誠に幼稚とは存じながらも、顔世御前が花道に登場したのを一人だけガン見してた師直が、思わず前を隠すというシーンは印象的。仮名手本という人生ドラマにパラパラ振りまかれるこういうお色気エッセンスとユーモラスな要素の入れ方にはホレボレいたします。以下においても同要素につきましては時々、わざわざ話題にいたします。(そこばっかり気にするレビューがほかには無さそうだし)


二段目

ウン十年ぶりに力弥使者が公演された2008年10月の中村座。

「桃井館の場」。

力弥使者 (梅と桜)

 お使いに来た大星由良之助の息子力弥加古川本蔵さんちの娘小浪が迎えて、恥じらいの接待。若いカップルの仲良しぶりがここで出てくる。

 九段目の仕込みとしてはイイが「おもしろくない」ということでたいがいカットされる。

 歌舞伎では平成20年中村座に於いて三十ウン年ぶりに、そのあとでは28年国立劇場会場50周年公演で公開された。

 国立劇場では中村米吉(5th)の小浪がべらぼうに可愛くて、若い二人(力弥は中村隼人)を応援したくなる場面に仕上がっていた。(市村萬次郎の戸無瀬も良いコミカル具合)

 自分も楽しんだが、一緒に行った20代前半の後輩にもすんなり入っていったようすで、後に破断になるという悲劇を聞かせるとたいそう残念そうにしていた。

 単独でかけるには難しいかもだが「面白くない」と一蹴するには惜しい、やっと時代があってきた?場面。


歌舞伎DVD未収録。


松切り

 そして殿様の桃井さんが、側近の加古川本蔵に「おれ、あいつヤルから」と高師直をやっちゃうことを告白する。

 人形浄瑠璃では本蔵が庭の松の木をスパッと切って見せ、「この通りさっぱりとやっちゃって下さい」とエールを送ったあと、桃井くんを寝かしつけたあとで馬にまたがり、高師直さんちに出掛けるところで終わるが、歌舞伎では場面が桃井邸ではなく建長寺書院の場となっており(団十郎7thが作ったとか)、本蔵がエールを送ったあと桃井さんは花道を去るが、途中で呼び止め、床の間の盆栽の松の枝を切って「こんなかんじでね」とあらためて応援する。で、幕になる。

 歌舞伎では前半の「力弥使者」をカットするので、場が建長寺。馬で出掛ける本蔵さんもカットになることも。

 松の枝を切るのは「こんなかんじで」というジャスチャーであると同時に、本蔵が松ヤニで殿様のカタナを抜けないようにする暗喩もあるとか。

 本蔵本人が「本蔵下屋敷」(スピンオフ作品)で語るところによると、松の枝を切るジェスチャーは「もろこしの豫譲が衣を裂くことで恨みを晴らしたように、あんたも松の枝を切って堪忍なさい」という諫言(かんげん)だったと言う。


歌舞伎DVD未収録


三段目

喧嘩場と裏門合点の立版古。国立劇場で売ってます。

「足利館の場 同殿中の場」


進物の場

 本蔵さんが桃井君に内緒で高師直に詫びを入れて仲を取り持つ。

 はじめ加古川が来るのは鶴岡のしかえしだと勘違いする師直の家来・鷺坂伴内が、家来と一緒に「返り討ち」にしてやろうと計略するようすがコント仕立てでおもしろいのだが、原作にはないようであります。

 ワイロをもらって万端こころえた高師直は、いじめの矛先を塩冶判官に変える。


腰元おかる文使いの段(足利館 門前の場)

 その進物のくだりのあと、師直邸にお使いに来たお軽と勘平のシークエンスだが、暗がりでお軽が勘平の袴に手を突っ込んだりするラブラブシーンがあり、プラトニックな力弥&小浪と対照的な大人のカップルの粘着性が表現されており、これがあるおかげで以降の二人のアレコレがすごく納得がいく。歌舞伎DVD未収録。


喧嘩場(館騒動)

 松の廊下で喧嘩〜刃傷。

 生まれて始めてみた歌舞伎の喧嘩場は、DVDの尾上梅幸(7th)と尾上松禄(2nd)のだったが、オーバーアクションであるにも関わらず刃傷までのイライラの高ぶり、持っていきようが見事で、たちまち心を奪われました。

 イジワルだけど上品にやんなくちゃいけない師直はむずかしいそうですな。


裏門合点

 歌舞伎のDVDに未収録で、東京のほうじゃ上演されない。人形浄瑠璃のDVDに収録されている。

 事件に遅刻した勘平がお軽の実家に行くことにするいきさつはここに入る。このエピソードの存在は全体におけるお軽と勘平のウエイトを決めるので、もうちょっと注目してもいいんじゃないかと思います。

 ラップを歌いながら現れる鷺坂伴内と勘平のチャンバラもある。

 上方落語「質屋芝居」に登場する。


三段目裏 戸塚道行きの場 (歌舞伎。日本舞踊)

 通称「落人」。清元「道行旅路の花聟」

 「裏門合点」のバリエーションで、前半は日舞。早野勘平お軽の実家に逃避行するエピソード。

 人形浄瑠璃で暗い城の裏門が舞台なのに比べると歌舞伎(踊り)の方は桜に富士山といった華やかな舞台美術(深夜明け方なのに)。

 判官の役者さんがお軽を演じることがあるので五段目のあとに持っていくようになったとか。歌舞伎DVDでは四段目のあとに入っているが、この構成もわかりやすい。


 高師直の家来、鷺坂伴内が大きく(間抜けに)扱われている。三段目の伴内のストーカーなみにキャラが際だったしつこさがフランスの演出家、故モーリス・ベジャールのおメガネにかかり、バレエの演出に膨らませて取り入れられている。


四段目

「塩冶館の場」。

花献上(花籠の段)

 上屋敷で事件を知った身内が、弱っちゃってるところ。

 顔世御前が自分が師直にあてつけた手紙が災いしたことを悔やむようすが描かれている。「仮名手本」の刃傷事件の原因はこの人の取り合いなので、顔世は重要人物なのだが、歌舞伎では「花献上」はたいがいカットなので彼女の存在感が薄く、結果「ただセクハラされるだけのチョイ役女」になってるのが惜しい。

 裏切る前の斧九太夫も登場し、映画やドラマで見かける「アンチ殿さま」的な発言が見られ、興味深い。が、これも歌舞伎では見られない。上方では演ってるのかしら。(人形浄瑠璃DVDに収録)


塩冶判官切腹の場

 判官切腹。慣用句?として使われる「おそかりし、ゆらのすけ〜!」って実際セリフにあるのかと思ったら実際は「由良之助か、待ちかねたわやい〜」だった。

 「通さん場」といって劇場のお客さんの出入りが許されない大事な段。

 さて、ビギナーにはとっつきにくい歌舞伎の所作には実は玄人も実はよくわかってないこともおありだそうで、たとえばこの切腹の場にやっと到着した由良之助が検使役・石堂右馬之丞に「近う近う〜」と言われて花道で一回両手を懐に入れる仕草について、落語の「四段目」(出典:志ん朝版)では「ひょいっと顔を上げてみるってえと、もうお殿様はお腹を召してるから"しまった〜"と思っても、ここでもってあわてちゃあいけないと思うから両方の手をこうやってフトコロへ突っ込んで腹帯をキュウッと締め直す。」と説明しているが、市村羽左衛門(17th)がある番組(歌舞伎チャンネル)で言うには「なんでああいう仕草をするんだか九代目からおじさん達が聞いてないんですよ。演出の意図がハッキリしていないから、あれは腹帯のことだろうと思うが、締め直すんだかゆるめるんだかはおまえ達の解釈でやれと言われ、あたしはゆるめてます。あすこで締め直す由良之助じゃ仇は取れない。」だそうです。

 「早駕籠に乗ってくるんだから腹帯をキュッと締めていたのをゆるめて、臍下丹田に落とす」という"ゆるめ説"もある。

 そうかと思うと、いっぽうで松本幸四郎(7th)は「師匠がシメる方でやってたから自分もそうしているが、これから大切な場なのだからウンと腹帯を締めて…否、肚(はら)を緊めてかからなければならない。緩めるのははき違えではないか」と言っている(「假名手本忠臣蔵」国立劇場上演資料集256)。

 雑誌「歌舞伎」でも明治時代から「シメる」「ユルめる」両説が載ってるそうで結論が出ていない。

 そもそもは人形浄瑠璃にあったのを、三代目坂東三津五郎が歌舞伎に取り入れたとか。どっちにしろイイ形なので残ってるようであります。


評定

 若い侍達が自決だ籠城だとやってるのを、斧九太夫が表面的にはほめたたえながらも「お金配分するなら私にはたくさん頂戴」といいながら退出。最終的には、どんな所存でもみんなは由良之助に同意すると決める。

 映画やドラマでは血判したりするシーンでおなじみであります。

 近年の歌舞伎上演の際、キャラクターの名前を史実の名前に直しちゃってるものもあり、ここでもお家再興の話題の時、原作にある「ご舎弟・縫の介様もござれば」っていうのを「ご舎弟・大学様もござれば」と言っちゃってる場合がある。個人的感想だが、仮名手本では、すべて原作どおりの変名でやるべきなんじゃないかしら。


表門 城明け渡しの場

 塩冶家の閉ざされた門の外で、由良之助が朝までおり、夜明けに「ある決意」をする。映画やドラマや浪曲もおなじみの「城明け渡し」に該当するシーン。

 人形浄瑠璃と歌舞伎では演出面でひじょうに興味深い違いがある。

 判官切腹のあとで由良之助が無念の涙ハラハラハラとするシーンは、人形浄瑠璃では塩冶判官の遺骸のかたわらでやるが、歌舞伎では門外でひととおりやる。

 ちなみに印象的な、懐中の九寸五分を出して、血潮を手にとって舐め、五臓六腑に納めたてまつるシーンは人形浄瑠璃では死んだ殿さまのすぐ横で、渡された九寸五分をダイレクトに舐めたあと懐にしまう。

 この「決意」のシーンは周囲の目のないところでやるかやらないかで、7段目の態度をどう読むか意味合いが変わってくるので、なにげに影響力の大きいシチュエーション。(…ということを安兵衛の故郷・新潟県新発田の阿部聡氏とウワサした。)

 このあと人形浄瑠璃では、想い出に提灯の紋の部分をカッターで切って懐に入れるが、歌舞伎では円筒提灯(小田原提灯みたいの)の加輪をとっぱらって火袋の部分をたたんで懐に入れた。

 いちばん大きな違いがラストで、人形浄瑠璃では「ハッタと睨んでぇ!!」とそれだけ台詞が入って由良之助がハケて幕となるが、歌舞伎は由良之助が花道を下がってるときに幕が途中までしまったところで止まり、急にソデから三味線の人が現れ、マドロス風に台に片足を乗っけたかと思うと「愁い三重(うれいさんじゅう)〜送り三重」を奏でる。由良之助はトボトボむこうへ入る。ちょっとシュールでおもしろい。

 補足だが歌舞伎では、ただでさえでっかく設えられた表門が由良之助の歩みとともに表門全体が奥へ移動を始め、遠のいていくシーンがダイナミック。舞台を有効に使って距離を表現している。

<附言「日本の喜劇人」(小林信彦・新潮文庫)によると、この「城のほうが下がっていく演出」は、古川緑波による昭和17年の「四十七分忠臣蔵」において、時短のために緑波がアチャラカで考案したものとある。

 どっちが先なのだろう…と思ったら「演技の伝承」(川尻 清潭 著)に、大正〜昭和に活躍した晩年の団十郎(9th)が「大掛かりに丸物の赤門を飾らせ、それをそのまま斜めに後へ引き下げて(略)が評判よく、以来大劇場の上演では(うんぬん)」とあったので、緑波がリスペクトしたものと推測いたします。ごちゃごちゃすいません。>


四段目裏

鳥本宿 蜂の巣の場

 北陸のほうで出張中の寺岡平右衛門が居酒屋で一杯やってると、百姓たちが蜂の大合戦を見て騒いでるのを居合わせた坊さんが「こういう稀代は京か鎌倉の諸侯方に凶事があるのでは?」と不吉なことを言う。平右衛門は鎌倉の殿様のところへ走る。

 検索しても出てこないようなマイナーな場で(<2008年現在。最近Wikiに詳しく載ってます)、この記述は昔の脚本を参考にしました。ビジュアルで見たことがあるのは浮世絵だけ。

 なんとなく七段目との因果関係が成立してて、あればあったで気持ちのいいエピソードでございます。歌舞伎&人形浄瑠璃共にDVD未収録


五段目

役者絵:市川海老蔵

「山崎街道、鉄砲渡しの場」。通称:「二つ玉の場」

 お家の大事にデートで駆けつけられなかった塩冶判官の家来、早野勘平カノジョの実家で狩人生活。イノシシと間違えてを誤射する。うたれて死ぬのは強盗の定九郎


 あたしはそもそも落語の「中村仲蔵」において、初代仲蔵(歌舞伎役者)の苦心の工夫の末、生まれた「定九郎像」がどんなだろうと興味を持って仮名手本忠臣蔵を見たがったのが、思えばコレが忠臣蔵にハマっていくきっかけのひとつだった。実際見ると歌舞伎の演出が落語とずいぶん違う。とはいえたしかに不気味でかっこいい〜(出番は超短いが)。


 平成18年の海老蔵(11th)の定九郎はゾッとする色気で、「ワル」という生き物のよう。先代(つか、親父さん)と細かい振りが同じだったので、勘三郎襲名記念DVDで見た中村錦之助(2nd 信二郎時代)の定九郎はちょっとワイルドだったから、チームによって演出が違うんだなあと、私はたいそうおもしろがりました。

 昭和61年の尾上辰之助(2th)は上手に仕込んで、落語に出てくる定九郎のように胸にもべったり血がついていた。中村獅童(2nd)はイイ意味でやんちゃな感じ。中村橋之助(3rd)は重厚でどことなく狂気もはらんでてこわい。

 平成29年歌舞伎座の染五郎(7th)は刀とか回さないし与市兵衛とのくだりも時短で省エネなあっさりイメージ。国立劇場全段通しのときの尾上松緑(4th)さんはご自分から「やりたい」とおっしゃってたと言うんですけど…でも…ちょっと味わったことのない気持ちにさせる…なんていうか…。


 ライブで見るとイノシシが写真やDVDで見るのより小ぶりに感じてかわいい。舞台をそのまま通過したりグルッと一回りしたり、茂みに引っ込んだりソデに引っ込んだり、ナマイキにいろんなバリエーションがある。

 人形浄瑠璃のほうのイノシシは、昔と今とデザインが違うようで、DVDに出てくるのはディティールが細かくリアルでもう一つかわいらしさに欠けるが、昭和時代は小ぶりの小さいふにゃふにゃした、かなりの脱力系でなかなかラブリーであります。


六段目 

「与市兵衛内勘平腹切の場」。

 勘平は誤射した死体からお金を奪って、仇討ちの連名に加わるために友達に軍資金を払ってホッとして帰宅。すると舅さんの遺体があとから運び込まれる。自分が撃ち殺してしまったのは舅でその死体から泥棒したのかと勘違いして大ショック。切腹する。(早野勘平 住家の場)

 最初に観賞した時はもう、ストーリーが理不尽すぎて、見ちゃいられなかった。おばあちゃんの激怒も勘平のぐしゃぐしゃな気持ちも。

 平成20年に中村座で見ましたら、勘平(勘三郎18th)の末路にぼろ泣きしちゃいました。


 勘平の切腹は四段目の殿さまと対象的に無様(ブザマ)で、芝居で視覚的に表現されてるのは血糊だけですが、実際ははらわたも飛び出しているというテイでありますので、そういうふうに見ましょう。

 浅葱の着物に血が付いちゃうと取れないってんで、気を使いながら演じるのが大変だそうです。昔は変えを2〜3枚用意したときもあるのだとか。(尾上菊五郎7th談。ステージナタリーのインタビューより)


<附言>オンライン上演の「図夢歌舞伎」(2020.7.11)となると、さらにコンプライアンスに気を使い、流血はさらに削られ、血糊を顔につける仕草さえカットされる。


七段目

役者絵:坂東玉三郎

「祗園一力の場」。

 けっこう上演され、見る機会が多い幕。

 五段目で舅が強盗に取られた大金は、勘平のカノジョのお軽が御茶屋に身を売った代金。実家での泥棒〜切腹騒ぎなど知らず、おとなしく御茶屋で奉公するお軽だったが、ひょんなことで討ち入りのリーダー大星由良之助の密書を読んでしまう。お軽の兄、寺岡平右衛門は秘密を知った妹・お軽を殺すことで由良之助に忠誠を証明しようとする。

 ぶっちゃけ、全段を通して大星由良之助がメインで活躍する唯一の段。

 よく上演されるわりに、由良之助を演ずる役者は異口同音に「むずかしい」という。大酒を飲んでて血中アルコール濃度は上がってるのにシンは酔ってない。でも、酔ったフリをしなければいけない。というのを演じるのには骨が折れるとか。

 人形の場合は由良之助は「孔明」という知謀に長けた頭部を使うが、それが酔って洒落た仕草をするギャップがおもしろい。


 さてDVDのお軽、女形の中村歌右衛門(6th)さんがご高齢で、「心の目」で見ないことには、妙齢なはずの遊女・お軽がおばあさんに見えちゃうのがじゃっかんサメた。しかしいろんなお軽を見たがこの人ほど「女性」の線というかデフォルメがすばらしい人はほかに知らない。中村福助(9th)のお軽(09顔見世)はその歌右衛門に直接手ほどきを受けてると言うだけに「あ」と思うほど歌右衛門っぽいところがあるが、ひじょうにリーズナブルというか、わかりやすい。なんというか最近の女子のような親近感のあるお軽がいい。ただ演じ方については、「六段目では三段目の腰元の感じで、そして七段目で六段目の世話女房で演じるのがいい」と三代目菊五郎が言ってたとおり、あんまり一力のお勤めが板についてると、六段目で実家とあんなに名残惜しく別れたいきさつとの関連性が怪しくなり哀れさが減る。

 平成20年に白鴎27回忌公演(由良之助=幸四郎(9th)。お軽=芝雀(7th)。平右衛門=染五郎(7th))でライブ見たとき、お軽のひそひそ話を聞くだけ聞いた平右衛門が「こっちの耳は聞こえねえ」と言うなど、小ネタギャグが多かった(<あたしはコレ、ほかで見たことがない。基本的に、お軽と平右衛門の再会シーンはコミカルな滑り出しなので2010年頃はもともとあった「会いたかった会いたかった」という台詞さえAKB48のヒット曲の引用ギャグと捉えられ、クスクス笑う客が少なからず、いた)わりに、ぼろ泣きの出来でした。おかるが不憫で不憫で。歌舞伎のライブって、意識と感情が割と離れてて唐突にワッと泣けてくるんで不思議。理性の方が「あっと、ここで泣くの!?ハイ」て感じでいささかビックリする。歴史が築いた「型」は理屈抜きに日本人のDNAを刺激するようです。

(ちなみに仁左衛門(15th)の平右衛門は小ボケで通さず、お軽が実家の事情を聞き出す過程でコミカルからシリアスにオーバーラップさせていき、「察しが悪い」のを「演じ」るテイでやり、よそを向いてちょっと泣く。)

 作家の町田康氏はこうした感情作用を「その涙ってなんの涙かって説明がないんですよね。ソレが可哀相だからとかソレが劇的に盛り上がったからとかそういうんじゃないんですよね。なんか知らないですけど"根源的な部分をシェイクされるような感じ"がするんですよね」と言っている(<もっともこりゃ、浪曲を聴いたときの感想だが)。


 由良之助と仲居たちが遊ぶとき、その公演当時の時事ネタを入れるモノボケの一発芸「見立て」が楽しい。(<仁左衛門(15th)が由良之助の時は見たことがない(先代はやってたけど)。上方系ではあんまりやらないそうです。中村座でもやってなかったが。團十郎(12th)は昭和61年やってた。)


 見立てと言えば、はしごから降りてくるお軽の大事なところが見えたとからかうにあたって由良之助は「船玉様が見える」「洞庭の秋の月を拝みたてまつるじゃ」と豊かなギャグを言い、「覗かんすないな」と怒られる。洞庭はともかく、船玉ってなんだろうと思ったが要は船霊様で、船の上面図を女陰の形に見立てたのであります。そりゃまた、えらい、えらひとじゃ。

 ちなみに九代目団十郎はシモネタを嫌って「天津乙女のご降臨」と、セリフをアレンジしたとか。


八段目

「道行旅路の嫁入り」。

 歌舞伎では芝居ではなく、踊り。景事(けいごと)。

 事件がきっかけで破断になった婚約者=二段目に出てきた小浪とお母さんが押しかけ女房しに、幸せな夫婦生活などをあれこれ想像しながら京都山科の大星家へ行く、東海道の道のり。

 富士山を背景に、オープニングで切り出しのむこうに花嫁行列の絵が通るのがチープな感じでかわいく観客の笑いを誘う。(人形では大鳥毛みたいな道具の頭だけしか出てこない。)


 平成20年の中村座で初めて見たが、「原作に忠実」が建前のためか錦絵に見る女馬士おやまや奴角助が出てこなかった。文楽でもこの母子ふたりきりだった。

 昭和61年国立劇場開場20周年のとき(中村歌右衛門6th×中村松江5th)のビデオを見たら、うかれた奴(やっこ)の吉平と運平の踊りがあり、その間母子は舞台袖に下がっていた。

 奴の二人はいわば息抜き的な陽気な役割だった。イヤホンガイドによると「江戸の浄瑠璃の清元や常磐津で演じるときや、ほかに女馬子とか伊勢参りの旅人や商人が絡むこともございます」というからいろいろとゲストにバリエーションがあるようであります。(たしか浮世絵にも女馬士おやまとか、イケメンの奴角助なんてのが描かれている)


 人形浄瑠璃の方に「そうじゃいな紫色雁高 我開令入給(ししきがんこう がかいれいにゅうきゅう)」というむずかしい歌詞が出てきて母娘がはなはだ陽気にしてるが、コレ実は「紫色にいきり立ったアレを私の中に入れる」という、母からのなっかなか大胆な性教育。(ネタ元「ワイ本・壇ノ浦戦記」。ちなみに歌舞伎では上記の息抜きゲストが入る代わりにカットされることもある。)


 中村時蔵(5th)は平成6年にお子ども衆の初舞台に8段目道行きをかけ、上記のゲストパートの部分に「旅の若者」という形で子供たち3人を絡ませた。そのとき子供だった梅枝さんが成長してH25年の京都顔見世で小浪を、時蔵さんが戸無瀬をやっている。ちなみに奴さんも出てくるが、奴 可内というのがひとりきりである。


 踊りがいいんで、清元「おかげ参り」という独立した踊りにもなっている。NHK総合でときどきかかる。


歌舞伎DVD未収録。


九段目

役者絵:中村歌右衛門

「山科閑居の場」。

 上記の二人が嫁入りに来たのに、大星家では奥さんから自分の殿様のケンカを止めちゃった本蔵さんの娘と、うちの息子と結婚なんてさせられませんと、けんもほろろに断られる。

 本蔵さん本人が出てきて死を以て詫びを入れる。後半がちょっと長い印象。


 このあと、十段目に行かずに「清水一角」を上演していたというおはなしもございます。


 また、09年12月にラジオにうかがった際、義太夫の豊竹咲大夫先生から「顔世、お軽、戸無瀬…とにかく仮名手本の女子ばかりを集めて法要する滑稽浄瑠璃 忠臣蔵九半目というのがある」とうかがった。

 本サイトの早野勘平の記述における五段目の「五段目で運のいいのはシシばかり」というのはこの中の坊主の念仏の文句にあるようであります。


 そういえばこの作品ってずいぶん人死にが出ますが女子がひとりも死なないんですよね。


十段目

「天河屋の場」。

 討ち入りのための武器調達をした豪商、天河屋(天川屋)義平のはなし。

 義平の忠義を試すために浪士がいろいろ詰問するが、義平は口を割らない。あたしが見たのはCSで放送された1959年2月歌舞伎座の中村吉右衛門劇団、市川猿之助一座、中村時蔵参加による「忠臣蔵」通し上演。昭和61年、国立劇場開場20周年のときの全段通し。〜以上の録画。近年ではこれらと2009〜2010大阪の新春大歌舞伎。平成28年国立劇場会場50周年記念でしか上演されていない。

 前後があってこそ引き立つ段だから、単独じゃ客入りが見込めないんで上演回数が少ないのかと思ってたが、ものの本で加賀山直三氏が「この一段はつまらない。愚作」と一蹴。

 義平の侠気はかっこいいし、ハッピーエンディングだし個人的には大好きだが、たしかに九段目までの貫禄の由良助が、「みんながそんなに言うなら、気持ちを試してみるかぁ」というコンセプトでつづら(長持ち)の中に潜んで義平にドッキリをしかけるという趣向はなかなか「浮いてる」かも。人を試して結局謝るという、かっこわるいかんじだし。七段目の孔明的なキャラがブレる。ちなみに国立劇場開場20周年ではつづらから出てこないで後ろの戸を開けて出てきた。

 そのほかにも離縁した天河屋夫婦の復縁まで世話をするなど、討ち入り直前にしては手の込んだ「よけいなこと」をしすぎで(おかげで上演時間が長い)、たしかに異色作。

 でも武器調達のキャラを入れようというセンスが素晴らしい。文楽では「天河屋」となっていた。

 ちなみに、昭和初期の脚本を見ると由良之助ではなく数右衛門が長持ちから飛び出すバーションもあるようで、「最近の型」と紹介している。

 上演の機会が少ない(=不人気な)二段目とこの十段目は、どっちも連作者・三好松洛の作ではないかと森 修先生は言っている。

(天川屋見世の場)歌舞伎DVD未収録。


十一段目

「討ち入りの場」。

 この場だけ定本が歌舞伎に無いそうで、原作通りだとつまらないからいちいちアレンジが違うとか。

 昭和52年版(DVD)ですごく意外だったのは、史実において吉良邸討ち入りのときにわりと応戦してきて手こずったと言われる小坊主が、本作品においてビジュアル化されていることであります。この幕はキャラクターがいろいろ出てきて楽しいのだが、H20平成中村座、H21顔見世(その他)ではカットされてました。(大広間の場)

 吉良邸の庭(奥庭 泉水の場)での殺陣は見応えがあり、特に竹森喜多八(武林唯七がモデル。勝田だったりすることも)と小林平八(小林平八郎がモデル)の、ダンスのような一騎打ちは目を見張り、DVDで初めて見たときはテレビに向かって拍手しちゃいました。

 つかみ合いとか雪の投げ合いとかが逆に新鮮。歌舞伎って池とかに落ちた人が這い上がってきた時の演出がかわいい。

 この一騎打ちは「二十四時忠臣蔵」(じゅうにとき ちゅうしんぐら)という別の作品の討ち入りを持ってきてのアレンジらしいが、最近はスタンダードになってる印象。


焼香の場

 ちなみにチャンバラのあと殿の墓前のシーンもある。

 文楽の場合は吉良邸…おっと、師直の屋敷での討ち入りが無く、十一段目は「花水橋引き揚げの段」であり、そのあとに「光明寺焼香の段」となる。

 まずは一番手柄の間十次郎、二番焼香は勘平のカタミの財布を由良之助から受け取った勘平の義理のお兄さんの平右衛門


 亡き殿への報告にもバリエーションがあり、平成3年の歌舞伎座では炭小屋の前に殿の位牌の載った経机をしつらえて、その前に生首をもろに置くという演出が披露されております。


大詰

「引き上げの場」「両国橋押し戻しの場」。

 一同が菩提寺の光明寺に向かう。その途中両国橋で服部逸郎(古くは鳥取一郎)という役人が労をねぎらう。メンバーが花道を引き上げて、しんがりどんじりの寺岡平右衛門がさわやかにかけやを担いで胸はって大いばりで去っていき(特に有名じゃない役者さんがやるときはそういう演出はないが、どちらにしろ彼だけ衣裳がベスト姿で目立つ)、馬にまたがって隊列を見送る服部が「あっぱれ」とエールを送る。ひじょうに後味のいい幕引き。

 歌舞伎の寺坂はなんだか無邪気でかわいいから好きであります。

 嘉永二年(1849)中村座が初上演。



 で、幕。


関連作品

  • 大忠臣蔵」(松竹)映画版・仮名手本忠臣蔵 1957