蜷川幸雄の仮名手本忠臣蔵
作品概要 | |
制作会社 | 舞台 |
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公開年度 | 1988年 |
内蔵助役 | 近藤正臣 |
評価 |
全編、ところどころ整理したり膨らましたりしてるけどほぼオリジナル(歌舞伎)をトレースしてて、あんまり上演されない段までとにかく「仮名手本忠臣蔵」を全部を通して演ってるから、これがまずすごい。
だからセリフもほとんどオリジナルと同じ「昔なセリフ」なのだが、マトモにやってたら到底上演時間内におさまらないので、ふつうに喋るスピードにアレンジされており(というより、1.5倍くらいマキの入った感じ)、役者さんはさぞかし大変だったろうなと思うが、きっとエネルギッシュな蜷川演出で引っ張って、みんなすごくがんばったのだなあ。見てて気分いい。女優さんがちょっと急いでるかんじがあるけど。
高師直の成田三樹夫がまずもう、すばらしい。もともとあたしはこの人が好きなんでヒイキ目なんだろうが、なんと素敵な声でしょう。滑舌もいいし。表情もいい。演技もいい。かっこいい!前半はこの人のおかげでグイグイ引き込まれる。この人と近藤正臣で星三つ稼いでるかんじ。
古いのやってるわりにスタイリッシュに感じ、のめり込むと「時代劇」に見えなくなってくる。ビデオのパッケに「ギリシャ悲劇の味わい」って書いてあるけど、ギリシャ悲劇知らないけど、たぶんそんなかんじなんでしょうねえ。ヨーロピアンなニオイがしてまいります。
そもそも悲劇要素ばっかしの仮名手本忠臣蔵から、明るい要素を徹底して排除した構成のせいか、後半になるにしたがって盛り上がるどころかどんどん陰気くさい気分になって「討ち入り」もスカッとしない。ていうのはたぶん、計算かもですが。
あと、儀式化された演出をスピードアップすると、思わぬところで観客から笑いが起こるのもおもしろかった。十段目、突如長持ちからバーンと近藤正臣飛び出しちゃったりすると実際こっけいに見えます(ふつうにやっても滑稽か…)。
義太夫の代わりにオペラみたいな歌が入ります(音楽:宇崎竜童)。
好き嫌いは別れるかも。
ちなみに蜷川先生、俳優時代にミフネ版大忠臣蔵で間十次郎やってます( ^∇^ )。(#28「死を賭けた探索」)
加筆
2016年5月 蜷川氏の訃報に接し、生前にメディアに対して「的はずれな批評」を嘆いていた氏の遺志を尊重して、もりいも上記の表層をなでただけの稚拙な感想('08)は内容をあらためる必要があるのではと居住まいを正し、ビデオを見なおしてみました。
実は、おおむねあたしの感想は変わらなかったw。
本作に的はずれな批評があるとしたら、きっと批評家はオリジナル(人形浄瑠璃や歌舞伎)と比較してああだ、こうだ言うのじゃないだろうか。そうなったらたしかに的を外すことになると思う。
上の感想に加えて、書いておいたほうがいいなとおもったのは舞台美術の特徴で、基本的にはひな壇になった舞台にビッシリ並べられた墓石と蝋燭、そして約20名ばかりのお盆のお迎え提灯を持った「泣き女」が全段を通して(移動があるものの)そこにある(居る)というもの。
仮名手本忠臣蔵の全部を現代的な蜷川演出に組み直すにあたっては徹底的に原作にあるギャグを削除し「悲劇」(鬱展開)でまとめあげたのだが、このセットはその効果をすごく上げている。
明らかに最初の感想文で間違ってたのが「八段目が無い」という点で(削除しました)、これは母娘の会話こそ全カットなのだが厳密には、ある。二人の道行に紅白の椿の花が落ちてくる印象深い(そして最短の)幕だ。(椿は冬も咲くけど、オリジナルだと寒紅梅の咲く冬(九段目で雪だるま作ってるし)としている。余談ですが広重は「秋」で描いてます。)
二段目の力弥使者や十段目が入ってるのが珍しかったが、二段目で何回もNGを出す小浪役の女優が降板になってると、力弥役の片岡孝太郎がご自身のブログで当時を振り返っている。
で、十段目って「やっぱいらねえな」というのが、ミエも切らなきゃ音楽も下座もない整理された蜷川演出で浮き彫りになる(笑)。
オリジナルにある見かけの「いろどり」が一切排除された上での4時間近い悲劇の一本槍は、やはり少々くたびれる。