11,923
回編集
差分
細
彼女が、手元のカンペ(経本の体裁を取っている)を見ながら、つっかえつっかえ台詞をおっしゃっている。彼女が、手元のカンペ(経本の体裁を取っている)を見ながら、つっかえつっかえ台詞を進める。
台本そのものは、とても丁寧で、優しく、真面目でした。台本そのものは、とても丁寧で、優しく、真面目。
まじめなので冗談(学校の先生が無理してる感じ)が、あんまり機能せず、「ここは笑いどころですよー」という場面で、客席がシン…となる空気も、観客のみなさんは受け入れてらっしゃる。まじめなので、冗談があんまり機能せず、「ここは笑いどころですよー」という場面で、客席がシン…となる空気も、観客のみなさんは受け入れてらっしゃる。
笑いが大きく用意されているのは「[[可留]]の妾宅」。コメディリリーフは小作の母と娘。この幕は大きく目立つ。つまり、緩衝材として機能するはずの笑いのシーンが、理屈として組み込まれていて呼吸になっていない。"笑わせようという誠実さ"だけが前に出ている(学校の先生がスベってるみたいな感じ)。
おもしろシーンが笑えなかったせいで、無学でおっちょこちょいの村娘が、コメディリリーフとして成立しきれない上に、"元気でハキハキしている"以外に設定上の魅力もないので、"素朴でかわいい"というよりも"シンプルにみじめ"。ギャグ(みたいなもの)がスベっているだけでなく、いつもならおもしろ親父が定番の[[堀部弥兵衛]]も、ただの老武士で演出されてたのも、いかにももったいなく、全体を平坦にしちゃったなと思いました。
本来この役は、多少なりとも「素朴でかわいらしいという魅力」がなければ成立しないはずなのだが、配役された役者さんの佇まいがあまりに“山出し”で、その前提が最初から崩れてしまっている。(髪型など、なにかワンポイントでいくらでも可愛く出来そうなのに、"おしん"でもイメージしたかったのか、それとも仕掛けは邪道ということなのか…。)
また、彼女が[[矢頭右衛門七]](大石に会いに、自宅ではなくなぜかこの家に来る)に淡い恋心を抱き(一目惚れ)、右衛門七がそれにつきあうシーンについても、なんで彼が時間を割いているのかが伝わってこず、ボランティア臭がキツかった…。ことほど左様に、役者(あるいは脚本や演出)の"年齢的なこと"と"まじめなこと"が、随所で微妙なムードを醸しているのだが、最初に言ったとおり、この空間では「みんな現役でがんばっている」ことを応援することこそが建前なのだろうと踏んだ。
もちろん、奉公に出されるのか身売りされるらしいので(台本上そこをハッキリ言わない)、その不幸な境遇を汲み取り、同情したという読み方が正解なのだろうが、それは観客側でイメージを用意しなくてはならない。
右衛門七も右衛門七で、ほんとはその村娘と同じくらいの年ごろならビジュ的に関係も成立しそうなものだが、ふつうに元服した武士のこしらえで、役者も壮年層なので、いよいよ二人の感情の温度差が際立ってしまう。
ことほど左様に、役者(あるいは脚本や演出)の"年齢的なこと"が随所で微妙なムードを醸しているのだが、最初に言ったとおり、この空間では「みんな現役でがんばっている」ことを応援することこそが建前なのだろうと踏んだ。
編集の要約なし
タイトルからは「[[東芝日曜劇場 女たちの忠臣蔵〜いのち燃ゆる時〜|女たちの忠臣蔵]]」的なニュアンスを思わせますが、「[[女と男の忠臣蔵]]」といったほうが似合うおもむきのお芝居。
また、新歌舞伎「[[元禄忠臣蔵]]」とは無関係で、要は”赤穂事件いじり”の作品です(忠臣蔵ではない系)。」とは無関係で、要は”赤穂事件いじり”の作品(つまり忠臣蔵ではない系)。
各話の合間合間に登場する狂言回しの[[妙海尼|妙海]]が、メタ的にMCやってるんですが、演じてらっしゃるのはこの和塾主催の和田幾子さん(82歳でいらっしゃいます。前進座でいらっしゃったよしみでこのタイトルなのかも)。が、メタ的にMCやってらっしゃるのだが、演じるは、この和塾主催の和田幾子さん(82歳でいらっしゃる。前進座でいらっしゃったよしみでこのタイトルなのかも)。
それをあらかじめ許容する空間にお邪魔しているのだと理解するのに、少し時間がかかった。
オムニバスなんで全体としての盛り上がりがあるわけでもなく、さながら、4時限目までの授業に出席したかんじ。