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それでもてんやわんやのストーリーはおもしろいのですが、編集なのか演出なのか誰のせいなのか、喜劇の映像としてはあまり出来が良くない。「笑い」に必要な呼吸が編集によってカタチになっていないのだ。用意されたギャグシークエンスは秀逸なのに、うまくつなぎ合わされておらず、あと数フレーム早くカットしてれば笑えるのに、みたいなじれったさが常につきまとう。 それでもてんやわんやのストーリーはおもしろいのですが、編集なのか演出なのか誰のせいなのか、喜劇の映像としてはあまり出来が良くない。「笑い」に必要な呼吸がカタチになっていないのだ。用意されたギャグシークエンスは秀逸なのに、うまくつなぎ合わされておらず、あと数フレーム早くカットしてれば笑えるのに、みたいなじれったさが常につきまとう。
このころの三谷幸喜がテレビ用の脚本に慣れてなかったのか、テレビスタッフの腕前の問題なのか、時代なのか このころの三谷幸喜がテレビ用の脚本に慣れてなかったのか、テレビスタッフの腕前の問題なのか、時代なのか、'''すごくしろうと臭い'''(好感は持てるけど)出来なのであります。
江戸の一大事の手紙を受け取った内蔵助が「殿が亡くなられた!お家断絶の再興の望みも断たれた今、赤穂の塩は粗塩となって瀬戸内の海に流れて行くわいなあ」ってセリフはあまりにもめちゃくちゃで、これは逆に爆笑しました(笑)。 江戸の一大事の手紙を受け取った内蔵助が「殿が亡くなられた!お家断絶の再興の望みも断たれた今、赤穂の塩は粗塩となって瀬戸内の海に流れて行くわいなあ」ってセリフはあまりにもめちゃくちゃで、逆に爆笑しました(笑)。<small>(註03)</small>
註01…イラストレーターのもりいには、納品した作品が、テレビのオンエアを見たらCG屋さんが断りもなしに、絵を描き変えてた…なんてことが日常茶飯事。ちなみに「ラヂオの時間」はテレビのヒットドラマ「振り返れば奴がいる」で自分のシナリオを現場で変えられていくショックから作った1993年の演劇がそもそもだというから、この頃は常に「そのような」フラストレーションにさらされていたのかもしれない。註01…イラストレーターのもりいには、納品した作品が、テレビのオンエアを見たらCG屋さんが断りもなしに、絵を描き変えてた…なんてことが日常茶飯事。ちなみに「ラヂオの時間」はテレビのヒットドラマ「振り返れば奴がいる」で「自分のシナリオを現場で変えられていくショックから作った1993年の演劇がそもそも」だというから、この頃は常に「そのような」フラストレーションにマミれていたのかもしれない。
註03…「殿が亡くなられた!お家断絶の再興の望みも断たれた今、赤穂の塩は粗塩となって瀬戸内の海に流れて行くわいなあ」…内蔵助が手紙で殿様の死を知った段階では「再興の望みが絶たれる」のは、かなり未来の話しであり、この台詞のおかしさをたとえるなら「夜が明けた!もう日が暮れたから…」というちぐはぐ。註03…「殿が亡くなられた!お家断絶の再興の望みも断たれた今、赤穂の塩は粗塩となって瀬戸内の海に流れて行くわいなあ」…内蔵助が手紙で殿様の死を知った段階では「再興の望みが絶たれる」のは、かなり未来の話しであり、この台詞のおかしさをたとえるなら「夜が明けた!もう日が暮れたから…」というちぐはぐとなる。
台詞の掛け合いと「尺」まで、いっしょに演出できないと、ごまかしてる間のランニングタイムは「とうてい間に合わない」シーンになるようだ。台詞の掛け合いと「尺」まで、いっしょに演出できないと、ごまかしてる間のランニングタイムは「とうてい間に合わない」と映るシーンになるようだ。
編集の要約なし
テレビ版は劇中劇の「マクベス」を、お茶の間向きに「忠臣蔵」に変えており、そのことがとりもなおさず、本コーナーで作品を取り上げようと思ったキッカケでもありますが、メインである「老役者をバックアップする」というプロットは無くなって、純粋に舞台裏で起こるアクシデントだけに的を絞って簡潔に整理して構成しなおされてます。
また登場人物の個性も変わってしまっており、たとえば西村雅彦が演じる舞監は、オリジナルもTV版も極めて無愛想なのだが、彼のバックグラウンドが示されるぶん、舞台のほうは笑える。が、テレビ版だと、「ただの怖い人」になっててもったいない。
あと、「ここはイイ女がキャスティングされるべきだろう」というポジションでびっくりするほど'''適役が不足している'''。(もりい個人の感想です。このドラマは当時の東京サンシャインボーイズの劇団員で出演者が構成されているようなので、これはいろいろ限界があったのかなと…)。
ンま、それでもあえて突っ込むなら吉良のセリフにある「わしにはお上がついている!」コレは「お上」より「上杉十五万(or三十万)石」のほうがイイかもですね。お上からは見放されたことで有名なので。(どっちでもいいや)
そのことは「時間稼ぎ」こそがキーになっている「忠臣蔵」において、討ち入りを1年10ヶ月も引き伸ばす、「お家再興」という恰好の材料を冒頭で捨ててしまうことになり、いまの三谷先生ならこんなことはしないのでは?と思う。
上記の「ショウ マスト ゴー オン 幕をおろすな(TV版)」と、同じことが言えるのだが、この手の話が、書いた三谷幸喜じゃない人の演出になると、とたんに「時間稼ぎ」のシーンに違和感が生じる。