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| − | この映画の公開前年昭和26年(1951)の帝国劇場の「帝劇ミュージカルコメデー [[お軽]]と[[早野勘平|勘平]]」(帝劇交芸部作 小崎政房 水守三郎演出 出演者: 榎本健一、越路吹雪)を題材にしたバックステージもの。 | + | この映画の公開前年昭和26年(1951)の帝国劇場の「帝劇ミュージカルコメデー (ママ)[[お軽]]と[[早野勘平|勘平]]」(帝劇交芸部作 小崎政房 水守三郎演出 出演者: 榎本健一、越路吹雪)を題材にしたバックステージもの。 |
| − | + | その内容はドキュメンタリーや巧妙な取材による生々しい「あるある」ではなく、舞台を降りれば役者も人間である…という楽屋ドラマのオムニバスで初日から千秋楽までを人情噺っぽくまとめている。 | |
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| + | (例:演劇続けたいけど婚約者がやめろというからどうしようとか、観客は演技よりも自分の体型を見て笑ってるのが嫌になるとか、身内に心配事があっても踊らなきゃいけないとか、楽屋泥棒のエピソードなど…震災も空襲も逃れた帝国劇場は語らず、ただ黙念と建ち続ける…) | ||
勘平の榎本健一は羽根本健一 。お軽の越路吹雪は山路吹雪 など、出演者も名前を変えて架空の背景があたえられている。 | 勘平の榎本健一は羽根本健一 。お軽の越路吹雪は山路吹雪 など、出演者も名前を変えて架空の背景があたえられている。 | ||
| − | + | 言うまでもなく、エノケンとコーチャンのふたりがすごく達者で、しのぎを削っているので見応えもあり(周囲の役者〜特に女子〜も良い。岡田茉莉子デビュー3本目)、平成30年に観ても声を出して笑える。 | |
| − | + | 劇中劇にみられるオペレッタ「おかる勘平」の内容は"部分"しかわからないが、断片的でも大胆さは伝わってくる。 | |
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| + | 勘平が(師直に)刃傷したり、お軽は高師直に囲われていたり、力弥が顔世にコクったりするという内容。そこに重なる「鴛鴦歌合戦 」のモダンさや「狸御殿もの」に見られるような無国籍の、派手な衣装と舞台美術。そして名曲の替え歌を、越路吹雪の上背と小柄なエノケンとの凸凹コンビが歌い踊り、強烈な"見世物"になっている 笑。 | ||
古い作品であり、浅学なあたしにはミュージカル「アニーよ銃をとれ」の替え歌くらいしか元歌がわからなかったりするがすこぶる楽しく、全部見てみたい。 | 古い作品であり、浅学なあたしにはミュージカル「アニーよ銃をとれ」の替え歌くらいしか元歌がわからなかったりするがすこぶる楽しく、全部見てみたい。 | ||
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[[画像:okarukanpe_teigeki.jpg|thumb|公開当時のパンフレット]] | [[画像:okarukanpe_teigeki.jpg|thumb|公開当時のパンフレット]] | ||
| − | 上述「帝劇ミュージカルコメデー | + | 上述「帝劇ミュージカルコメデー お軽と勘平」のパンフレットを取り寄せてみると、この舞台の内容は、忠臣蔵のもじりというよりは"登場人物が忠臣蔵ゆかりの名前"なだけで、ほぼオリジナルな芝居のようであります。(ところどころに「刃傷」「道行」などのエッセンスはあるものの) |
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| + | あらすじは、そのまま書いたら"ただ複雑なだけ"の恋愛劇で、それでも要約して申し上げますと… | ||
| − | + | 高師直に雇われてるお軽と勘平のふたりが恋仲なところへ、師直の横恋慕や、勘平ファンの戸浪との結婚話などがからんできて勘平が不当な投獄だとか出世話に振り回されああだこうだあって、勅使一行歓待の舞踏会で幕を閉じる…と言ったかんじ。 | |
| − | + | どうやら、オペレッタやコーチャンの妖艶な花魁姿、華やかな見栄えがハイライトなのであります。(カンカン踊りや女子プロレス、果てはカルメンからヌードダンサーも共演しております) | |
榎本健一は先年に笠置シヅ子との舞台において体調不良で倒れているそうで、パンフのインタビューの中で「足の痛みもこの頃じゃ殆どなくなって、ようやく自由自在になった」と舞台復帰を喜んでいる。 | 榎本健一は先年に笠置シヅ子との舞台において体調不良で倒れているそうで、パンフのインタビューの中で「足の痛みもこの頃じゃ殆どなくなって、ようやく自由自在になった」と舞台復帰を喜んでいる。 | ||
| − | + | 足の痛みとは突発性脱疽のことで、残念ながらこのあとしばらくして悪化してしまう。(この映画の翌年公開の「[[珍説忠臣蔵]]」のチラシにエノケンは「病中で私のみ出演しないのは残念です」というコメントを寄せている。) | |
| − | + | 自分の劇団も解散したとのことで、「経済的には持ち出しになっても(この芝居に)出ることにしました」と言っているので、不運が続いてるエノケンには、この芝居とて納得のいく起用条件はではなかったようだが、「とにかく舞台が好きでたまんねえ」から出演を呑んだごようす。 | |
| − | + | けっこう人気コンテンツだったらしく、1955年に東宝歌舞伎が始まった(東宝は歌舞伎の興行自体は以前からしていた<small>(「偽りの民主主義」p75 浜野保樹 角川書店)</small>)あとも上演があったようで、当時の東宝の社長は「これも東宝カブキの一種」「観客に迎えられるようなカブキの趣向」を目指していると語っている<small>(1956年「芸能画報」1月号)</small>。 | |
2025年11月25日 (火) 13:36時点における最新版
この映画の公開前年昭和26年(1951)の帝国劇場の「帝劇ミュージカルコメデー (ママ)お軽と勘平」(帝劇交芸部作 小崎政房 水守三郎演出 出演者: 榎本健一、越路吹雪)を題材にしたバックステージもの。
その内容はドキュメンタリーや巧妙な取材による生々しい「あるある」ではなく、舞台を降りれば役者も人間である…という楽屋ドラマのオムニバスで初日から千秋楽までを人情噺っぽくまとめている。
(例:演劇続けたいけど婚約者がやめろというからどうしようとか、観客は演技よりも自分の体型を見て笑ってるのが嫌になるとか、身内に心配事があっても踊らなきゃいけないとか、楽屋泥棒のエピソードなど…震災も空襲も逃れた帝国劇場は語らず、ただ黙念と建ち続ける…)
勘平の榎本健一は羽根本健一 。お軽の越路吹雪は山路吹雪 など、出演者も名前を変えて架空の背景があたえられている。
言うまでもなく、エノケンとコーチャンのふたりがすごく達者で、しのぎを削っているので見応えもあり(周囲の役者〜特に女子〜も良い。岡田茉莉子デビュー3本目)、平成30年に観ても声を出して笑える。
劇中劇にみられるオペレッタ「おかる勘平」の内容は"部分"しかわからないが、断片的でも大胆さは伝わってくる。
勘平が(師直に)刃傷したり、お軽は高師直に囲われていたり、力弥が顔世にコクったりするという内容。そこに重なる「鴛鴦歌合戦 」のモダンさや「狸御殿もの」に見られるような無国籍の、派手な衣装と舞台美術。そして名曲の替え歌を、越路吹雪の上背と小柄なエノケンとの凸凹コンビが歌い踊り、強烈な"見世物"になっている 笑。
古い作品であり、浅学なあたしにはミュージカル「アニーよ銃をとれ」の替え歌くらいしか元歌がわからなかったりするがすこぶる楽しく、全部見てみたい。
舞台「お軽と勘平」について
上述「帝劇ミュージカルコメデー お軽と勘平」のパンフレットを取り寄せてみると、この舞台の内容は、忠臣蔵のもじりというよりは"登場人物が忠臣蔵ゆかりの名前"なだけで、ほぼオリジナルな芝居のようであります。(ところどころに「刃傷」「道行」などのエッセンスはあるものの)
あらすじは、そのまま書いたら"ただ複雑なだけ"の恋愛劇で、それでも要約して申し上げますと…
高師直に雇われてるお軽と勘平のふたりが恋仲なところへ、師直の横恋慕や、勘平ファンの戸浪との結婚話などがからんできて勘平が不当な投獄だとか出世話に振り回されああだこうだあって、勅使一行歓待の舞踏会で幕を閉じる…と言ったかんじ。
どうやら、オペレッタやコーチャンの妖艶な花魁姿、華やかな見栄えがハイライトなのであります。(カンカン踊りや女子プロレス、果てはカルメンからヌードダンサーも共演しております)
榎本健一は先年に笠置シヅ子との舞台において体調不良で倒れているそうで、パンフのインタビューの中で「足の痛みもこの頃じゃ殆どなくなって、ようやく自由自在になった」と舞台復帰を喜んでいる。
足の痛みとは突発性脱疽のことで、残念ながらこのあとしばらくして悪化してしまう。(この映画の翌年公開の「珍説忠臣蔵」のチラシにエノケンは「病中で私のみ出演しないのは残念です」というコメントを寄せている。)
自分の劇団も解散したとのことで、「経済的には持ち出しになっても(この芝居に)出ることにしました」と言っているので、不運が続いてるエノケンには、この芝居とて納得のいく起用条件はではなかったようだが、「とにかく舞台が好きでたまんねえ」から出演を呑んだごようす。
けっこう人気コンテンツだったらしく、1955年に東宝歌舞伎が始まった(東宝は歌舞伎の興行自体は以前からしていた(「偽りの民主主義」p75 浜野保樹 角川書店))あとも上演があったようで、当時の東宝の社長は「これも東宝カブキの一種」「観客に迎えられるようなカブキの趣向」を目指していると語っている(1956年「芸能画報」1月号)。