註02…「映画で生きていこうと決めたのなら思い切って舞台はやめなさい」「判官やらせたるから」と牧野省三に言われた若き片岡千恵蔵(本作の[[服部市郎右衛門|服部一郎右衛門]]註02…火災現場に居合わせたカメラマン大森伊八は、牧野省三監督が避難先で「『忠臣蔵』は焼けて良かった」と自分に言い聞かせるように言っていたという。<small>(「鞍馬天狗のおじさんは」竹中労 ちくま文庫(「回想・マキノ映画」1971年牧野省三先生顕彰会発行 所収))</[[間十次郎|間重次郎]])は、この世界に入った片岡少年劇からの恩人&師匠の、片岡仁左衛門(11th)の追善公演を蹴って、義理を欠いてまでこの作品の撮影所に駆けつけたのに、当てられた役は[[服部市郎右衛門]]と[[大高源五|大高源吾]]の二役だったという。「判官やらせるとは言ったが、内匠頭をやらせるとは言うてまへん」small>
「その時の悔しさ、悲しさときたらありませんでした。辞めようと思いました…。」<small>(「別冊近代映画」昭和34年2月号には当てられた役は大高源五とあるのだが、本編クレジットには間重次郎とあり、Wikiには萱野三平とある。目を皿のようにして作品を見ても、よくわからない。)</small>という、有名な逸話もあるので、怨念が効いたもかも知れません!?
いずれにせよ、監督と主役の身勝手は、現場に異様なムードを作っていたようであります。 <附言> 「映画で生きていこうと決めたのなら思い切って舞台はやめなさい」「判官やらせたるから」と牧野省三に言われた若き片岡千恵蔵(本作の[[服部市郎右衛門|服部一郎右衛門]]/[[間十次郎|間重次郎]])は、この世界に入った片岡少年劇からの恩人&師匠の、片岡仁左衛門(11th)の追善公演を蹴って、義理を欠いてまでこの作品の撮影所に駆けつけたのに、当てられた役は[[服部市郎右衛門]]と[[大高源五|大高源吾]](ママ)の二役だったという。「判官やらせるとは言ったが、内匠頭をやらせるとは言うてまへん」 「その時の悔しさ、悲しさときたらありませんでした。辞めようと思いました…。」<small>(「別冊近代映画」昭和34年2月号には、当てられた役について大高源吾とあるのだが、本編クレジットには間重次郎とあり、Wikiには萱野三平とある。確認しようと目を皿のようにして作品を見ても、よくわからなかった。)</small>という、有名な逸話もあるので、怨念が効いたもかも知れません!? いずれにせよ、現場に異様なムードが漂っていたようであります。