「大石内蔵助」の版間の差分
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仇討ちを決めて江戸に下ったときは[[垣見五郎兵衛]](とか立花左近)を名乗って宿に泊まった。 | 仇討ちを決めて江戸に下ったときは[[垣見五郎兵衛]](とか立花左近)を名乗って宿に泊まった。 | ||
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仮名手本忠臣蔵では大星由良助(おおぼしゆらのすけ)。 | 仮名手本忠臣蔵では大星由良助(おおぼしゆらのすけ)。 |
2008年11月24日 (月) 14:39時点における版
忠臣蔵の主人公。
討ち入りのリーダー。絵がうまい。剣術は東軍流。
兵庫県、播州赤穂本社勤務の重役。自分ところの殿様(社長)が江戸で上司を刃物で斬りつけたことで会社は倒産。殿様は即日切腹。どうしようか考えあぐねた結果、仲間と一緒に事件のきっかけになった上司を殺しにいく。
あだ名は「昼行灯(ひるあんどん)」。
呼び名は現役のときは「ご城代」「ご家老」。
浅野本家筋は「くら殿」
会社倒産後は部下たちから「太夫(たゆう)(たいふ)」「ご頭領」と呼ばれる。
妓楼(くろう)、廓(くるわ<高級フーゾク施設。伏見の撞木町の笹屋しゅもくまちささや、祇園の一力茶屋)では「うきさま」「うきだいじんさま」。
城明け渡しがあんまり無抵抗ですんなりだったことやくるわ通いがすぎた頃になると民衆は「かるいし」「はりぬきいし」とあだ名し、歌まで作る「赤穂じゃのうてあほう浪人、大石軽くハリヌキ石〜」。
池田久衛門を名乗って京都山科で隠れ住んでいた。
仇討ちを決めて江戸に下ったときは垣見五郎兵衛(とか立花左近)を名乗って宿に泊まった。
川崎のお百姓さんちに泊まった時は家来の瀬尾孫左衛門の名を語った。
仮名手本忠臣蔵では大星由良助(おおぼしゆらのすけ)。
良雄(よしかつ。浪曲ではよしお、と言ってる)。
辞世「あら楽し(楽や) 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」享年45歳