二十四時忠臣蔵

作品概要
制作会社 松竹
公開年度 1987年
内蔵助役 市川猿之助
評価 2ツ星


これで「じゅうにときちゅうしんぐら」と読む。


明治4年に新富座のために河竹黙阿弥が書き下ろした「四十七刻 忠箭計(しじゅうしちこくちゅうやどうけい。十二時忠臣蔵とも)」が原作。

もともと講談や俗説を織り交ぜて、討ち入り成功までの12時間を綴ったおもしろ歌舞伎。

原作だと小山田庄左衛門がよく書けているらしく、ほかにも高田郡兵衛のような脱盟者や、中村仲蔵のような役者。楊貴妃といった変わり種まで登場する。

この原作を刈り込んで、鶴屋南北の「東海道四谷怪談」…を混ぜてアレンジしたものがこの作品。


本作は市川猿之助「四十七撰」のうちの「復活通し狂言十八番」(註01)のひとつで、ここでレビューするのは1987年版(歌舞伎座)。初演は昭和55年(1980)11月。初演梅田コマ劇場だそうである。(2010年の「四谷怪談忠臣蔵」のパンフレットより)

ちなみに1972年12月に国立劇場で「四十七刻忠箭計」が上演されたという記録が、歌舞伎on the webにある。

どれも、演じるは三代目 市川猿之助丈(二代目市川猿翁)。


〜あらすじ〜

<鶴ヶ岡八幡社前>

高師直がここで「馬鹿なフナだ」と桃井若狭助をいじめ、刃傷沙汰になる。


<朝六ツ刻(午前6時) 本所松坂町吉良上野介邸寝所>

…という悪夢から目が覚める、吉良上野介

「去年切りつけられたせいで悪夢を見る」

そうおびえて、上杉の下屋敷へ引っ越したがってるが、愛妾が「心配いりませんって!」と言って同調してくれない。


こんなかんじで、この物語では登場人物が、赤穂事件の実名で現れる。


<五ツ刻(午前8時)高輪八ッ山下>

(原作ではこのシーンからスタートする。)

この場では、潮田又之丞の妻・お浪(なみ)が民谷伊右衛門のもとに連れ去られるところから、このハナシは彼女の奪還〜潮田又之丞の目の治療〜伊右衛門退治という流れになっていくのだが、そこに「討ち入り」と、ちゃんとした「南部阪雪の別れ」と「土屋主税」がねじ込まれてきたりする、なかなかな「寄せ鍋」。


とにかくこのハナシは、筋立てうんぬんよりも、出ずっぱりの猿之助(3rd)のすごさを楽しむための舞台。

彼は高師直・吉良上野介・大石内蔵助民谷伊右衛門佐藤与茂七土屋主税を、早変わりで演じ分ける。


さて、その後は…

午前10時に「南部坂 雪の別れ」があって、外に出てきた内蔵助が清水一学とバッタリ会って、腰抜けと面罵されるが、一学が去る際に落とした重要書類を拾って、今宵の吉良の在宅を確信する。

午後2時晋其角のおうちまで大高源五が暇乞いにくるが、討ち入りをしないと聞かされた其角は、源五を軽蔑し、例の発句をやって別れる。

午後4時。本所の川べりにテントハウスみたいのを作って住んでる鳥目の潮田又之丞が、朋輩・民谷伊右衛門(も赤穂浪士なので見知ってる)の持ってる「桑寄生(そうきせい)」という妙薬を欲しがって、不破数右衛門お岩さんまで巻き込んで騒動になる。ちなみにこの薬は酉年酉の刻に生まれた女性の生き血とともに飲むと効くという。

午後6時。伊右衛門のアジトに軟禁状態のお浪が伊右衛門に斬られる。又之丞が手下・小平(も、伊右衛門に殺されている)の妹・お花に介助されながら駆けつける。お浪は死ぬ間際に自分の胸に短刀を突き立てて、お花の用意した湯呑に血を注ぎ(そう、お浪は酉年酉の刻に生まれ)、それで薬を服用するとたちどころに又之丞の目が見えるようになる。

…この、凄惨でありながら滑稽なシーンが、いかにも「歌舞妓!」という悪趣味(いい意味で)を感じさせる。

午後10時。ふつうに「土屋主税」第二場 土屋邸奥座敷の場。

午前4時。炭小屋に上野介を発見。

午前5時。四十七士のかちどき。

午前6時。逃げた伊右衛門を追って、捕物が始まる。早変わりと、大立ち回りが見せ場。


討ち入り成功で終わらず、捕物がラストに来ることからも、やっぱりこの芝居は忠臣蔵を遊びながら、猿之助の"やぶれかぶれの一生懸命"をたのしむ芝居なのであります。


そもそもスーパー歌舞伎を創った猿之助(3rd)。当時、歌舞伎興行に客を呼び戻した立役者。

舞台美術家の朝倉摂先生は、かつてこう嘆いておられた。

「よく 今後 歌舞伎はどうなるか?という声があるが、たしかに今行なわれているような歌舞伎そのままでは、どうにもならないように思う。やる気のみえない俳優と、広すぎる空間、ものを食べながら観る気のない客席、こうした出あいは歌舞伎にとって大変に不幸なことである。」(「歌舞伎」1983年講談社)

先生はその後「ヤマトタケル」の美術をご担当になって、猿之助丈と共に"型破り"を作り出している。

昭和五十年代まで歌舞伎がいまひとつ盛り上がらないことに「型を真似るだけでは芸の力が細ってゆく」と語った猿之助(「市川猿之助傾(かぶ)き一代」光森忠勝 新潮社)と、息統合したのではあるまいか。

型を体得した上で、それを破った猿之助は、「蛇道」と言われながらも、お客が喜ぶ"エンターテインメント性"を重視していたと思う。

この「変わり種」忠臣蔵の復活も、そうした流れの中にあった。


註01…18の演目の中には、この「二十四時忠臣蔵」のほかにも、「四谷怪談忠臣蔵」「菊宴月白浪」と、全部で3つの忠臣蔵モノが入っている。