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「此村大吉」もの
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[[画像:Hatamoto5.jpg|thumb|講談本・旗本五人男]]
落語の「[[中村仲蔵]]」、講談の「此村大吉(このむら・だいきち)登場の場」は、しばしば映画化されております。
中村仲蔵は偶然出会ったおサムライの容姿をヒントに[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]五段目の[[斧定九郎]]像を開発した人。此村大吉はそのモデルとなったとされるおサムライ。
享保年間。錦糸堀にいた、五百石の禄をもらう旗本の此村権四郎のむすこ大吉。
此村大吉のハナシは全11席(本によっては38席)ある「旗本五人男」の一部。
序盤で本文に入る前に仲蔵と此村大吉のエピソードに触れる。
日本橋の大店の乾物屋(芋酒屋いもさかや)・山形屋の店先に捨て子されていた仲蔵は保護され、店の養子になる。芝居が好きなので六つのときに中村勘三郎に預けられ、二十歳ぐらいのときに例の[[斧定九郎|定九郎]]事件がある。妙見様に願をかけて満願七日目に、夕立に合い、茶屋で雨宿りしれる最中に土手を走る此村大吉を目撃し、キャラを開発するに至る。これが評判を呼ぶが当の大吉がこれを知り、仲蔵に文句を言いに行く。仲蔵は詫びて25両を大吉に包む。
わりと、この講談の内容のまま「此村大吉」名義の映画でビジュアル化されている。戦前戦後に3本作られている。
ちなみに林家正蔵(8th)や古今亭志ん朝、春風亭一朝師匠のやる「中村仲蔵」に出てくるおサムライはミムラシンジロウという名前。此村大吉の屋敷の旗本の寄り合いに顔を出すんで、紋付きの黒羽二重を着ている…という設定になっている。
(ムサビの教授で古典芸能の研究科・今岡謙太郎先生によれば「三遊亭円朝の「月に謡荻江の一節」という人情噺では山室半次郎という名前で出てくる」とのこと。)
実在の仲蔵のエピソードについては「[[斧定九郎]]」の項目をご参照願います。
こういうアレンジ、当時じゃあ仕方がないか。無難な娯楽映画であります。白黒。