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オリジナル(舞台版)のストーリーは、寿命が危ない老役者の舞台をサポートすべく、裏方や共演者がてんやわんやする話で、付け焼き刃な対策が作家の意図しない方向へどんどんと作品を変えていく。劇場版とテレビ版のいいとこ取りが三谷幸喜初映画監督作品の「ラヂオの時間」と言えるかもしれない。「手は、ある!」というセリフも踏襲されている。
舞台版は1994年の紀伊國屋ホールのを中継番組で見たが、喜劇暗黒時代のビミョーな時代背景(この頃の和製コメディの多くはわざとらしいばっかりでホントにおもしろくない)なのにすごく笑える。
また登場人物の個性も変わってしまっており、たとえば西村雅彦が演じる舞監は、オリジナルもTV版も極めて無愛想なのだが、彼のバックグラウンドが示されるぶん、舞台のほうは笑える。が、テレビ版だと、「ただの怖い人」になっててもったいない。
あと、「ここはイイ女がキャスティングされるべきだろう」というポジションでびっくりするほど'''美人が不足している'''。(補足:コレ執筆後、古くからの三谷ファン〜漫画家けらえいこ夫妻〜にうかがったら、このドラマは当時の東京サンシャインボーイズの劇団員で出演者が構成されており、いろいろしょうがない旨、概略ご説明いただいた。)。
さて、肝心な劇中劇の忠臣蔵ですが、「ブラボー忠臣蔵」というアバンギャルドなものにアレンジされてる設定なので、それがツッコミどころの免罪符になっており、もう自由でいいわけでして、忠臣蔵であって無いような感じになっておりました。この本を書くに当たって、三谷幸喜はあらためて忠臣蔵を研究するようなことはしてないんじゃないかと思います。<small>(註01)(註02)</small>
ンま、それでもあえて突っ込むなら吉良のセリフにある「わしにはお上がついている!」コレは「お上」より「上杉十五万(or三十万)石」のほうがイイかもですね。お上からは見放されたことで有名なので。(どっちでもいいや)
前述のけら夫妻は、セリフにはすべてにおいて三谷幸喜の目が光ってる筈だと言っていたが、上記のセリフはあるていど役者まかせの野放しではないかと推測…するんだけど、わざとかなぁ。
2014年の舞台「[[吉良ですが、なにか?]]」のパンフレットで古くから東京サンシャインボーイズに携わってる阿南健治氏(「ショウ・マスト・ゴー・オン」では大石内蔵助)が、「[[吉良ですが、なにか?]]」までは三谷氏は本格的に忠臣蔵はやってないとコメントしてらっしゃるので、機会を捕まえて三谷先生ご本人にうかがったら「日大の後輩のために、ちょっと書いたことがあります」ということで、昔ネットで見かけた88年だか89年の「大忠臣蔵」って言うのが、たぶんソレらしい。
同年秋に公開してヒットした「清須会議」についてのインタビュー([http://www.cinematoday.jp/page/N0058825 シネマトゥデイ])で三谷幸喜は、忠臣蔵はいろんな切り口があると語っていらっしゃる。
2015年1月に放送された「フジテレビ開局55周年特別企画 オリエント急行殺人事件」において、三谷氏はお家断絶。散り散りになる仲間。仇討ちのための集合。殺人計画の暗躍。「いつになったら実行するのよ!」あげくに「討ち入り前の血判状」というセリフまで飛び出し、忠臣蔵度を高く描いた。
2020年秋にアマゾンプライムから配信した三谷先生作のコメディ「誰かが、見ている」#2の冒頭エピソードで、香取慎吾演じるド天然の主人公がバイトで働く撮影所にも忠臣蔵が出てきて、吉良上野介に扮した西田敏行が迷惑をしている。先生はもともとお詳しいし、さらにお好きだとお見受けしました。
註03…「殿が亡くなられた!お家断絶の再興の望みも断たれた今、赤穂の塩は粗塩となって瀬戸内の海に流れて行くわいなあ」…内蔵助が手紙で殿様の死を知った段階では「再興の望みが絶たれる」のは、かなり未来の話しであり、この台詞のおかしさをたとえるなら「夜が明けた!もう日が暮れたから…」というちぐはぐ。