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ショウ マスト ゴー オン 幕をおろすな

サイズ変更なし, 2008年10月17日 (金) 12:37
編集の要約なし
さて、テレビ版のおはなしは劇中劇の「マクベス」をお茶の間向きに「忠臣蔵」に変えており、そのことがとりもなおさず、このコーナーで本作品を取り上げようと思ったキッカケでもあります。老役者をバックアップするというプロットを排除し、純粋に舞台裏で起こるアクシデントだけに的を絞って構成されている。舞台版とは相当違うストーリー。それでも相変わらず布石の置き方も上手ですし、お話は大変おもしろい。さて、テレビ版のおはなしは劇中劇の「マクベス」をお茶の間向きに「忠臣蔵」に変えており、そのことがとりもなおさず、本コーナーで作品を取り上げようと思ったキッカケでもありますが、劇場版ではメインである「老役者をバックアップする」というプロットは無くなって、純粋に舞台裏で起こるアクシデントだけに的を絞って構成されてます。舞台版とは相当違うストーリー。それでも相変わらず布石の置き方も上手ですし、お話は大変おもしろい。
しかし、どうしたことかこのテレビ版、舞台版で感じられた満足感がチョット伝わってこない。というか、「え?この時間はナニ?」というようなもてあましたような時間が随所にちりばめられており、脚本と撮影の尺があってないかのごとき雰囲気。いったん気になり出すとカットのタイミングがいちいち遅くかんじる。まるで脚本を書き上げたあとに放送時間が変更になって伸びたんで各シーンを長めに編集した?というほどに間延びしていて、はたしてキャラクターたちが舞台裏で奔走したことはハプニングを解決したといえるのだろうか?と疑問が残るほどである。しかし、どうしたことかこのテレビ版、舞台版で感じられた満足感がチョットわいてこない。それどころか舞台版を見ると「ああ、三谷幸喜ってもうこの頃ですでに完成してるんだなあ」と感心しきりなんですがテレビ版を見ると「ああ、三谷幸喜って若いころはまだこんな感じだったんだあ」と、感想がかなり変わっちゃうんです。
こうしたことの要因になってる、舞台版とテレビ版の大きな違いは、ストーリーの違いよりも、監督さんが違うことが大きいんじゃなだろういか。演出は三谷自身がやるに限る。このテレビ版は聞いたことのない監督さんでしたが、もしかしたらこの人が三谷喜劇を理解してなかったのでは?(とはいえ、このテレビ版で三谷幸喜ファンになった人多いようです。もとの脚本の勝利なんじゃないかと思いますが。)具体的には、テレビ版は彼の作品にしてはテンポがかなり独特で「え?この間はナニ?」というような、もてあましたようにも取れる時間が随所にちりばめられており、脚本と撮影の尺があってないかのごとき雰囲気。いったん気になり出すとカットのタイミングがいちいち遅くかんじる。まるで脚本を書き上げたあとに放送時間が変更になって伸びたんで各シーンを長めに編集した?というほどに間延びしていて、各エピソードのノロノロ加減を見てると、はたしてキャラクターたちが舞台裏で奔走したことはハプニングを解決したといえるのだろうか?と疑問が残るほど。それまで「猫が好き」しかやったことのない三谷にとっては初のドラマを書くのがしんどかったのか…?
あと、失敬な言い方なんですが、'''徹ッ底的にイイ男&イイ女が不在'''なんです。そういうところで華がまったく無い上に、主役の西村雅彦が舞台版より遙かに物静かな陰険な役どころになってて、笑いが一切排除されてる。近年の三谷作品はコワイキャラクターでも間抜けな笑いどころがキャラにあるのに、この西村は人が泣くほど怒鳴り散らしたりにらんだりと救いようがない。舞台版では現場で威張ってるのに女房に頭が上がらないというバランスが見事に笑いにつながってるのに。こういう演出がまた視聴者を笑いから遠ざけるムードを作ってます。監督は三谷幸喜を理解できないっつうより、根本的に喜劇が撮れないのかもです。いずれにしろ、演出や編集でそれがフォローできてないことが悔やまれる。違和感の原因はストーリーの違いではなく、監督さんが違うことが大きいんじゃないかしら。やっぱ演出は三谷自身がやるに限る。このテレビ版は、あたしの聞いたことのない監督さんでしたが、もしかしたらこの人が三谷喜劇を理解してなかったのでは?(とはいえ、このテレビ版で三谷幸喜ファンになった人多いようです。)
あと、失敬な言い方なんですが、'''徹ッ底的に、とことんイイ男&イイ女が不在'''なんです。そういうところで絵ヅラ的にまったく華が無い上に、主役の西村雅彦が舞台版より遙かに物静かな陰険な役どころになってて、笑いが一切排除されてる。舞台版で同じ役の西村は、現場では威張ってるものの女房にはイジメられてるというバランスが見事に笑いにつながってるのに、テレビ版西村は人が泣くほど怒鳴り散らしたりにらんだりと救いようがない。こういう演出がまた視聴者を一層笑いから遠ざけるムードを作ってます。
この翌年が、勝手に脚本を変えられて三谷幸喜がへこんだ「振り返れば奴がいる」なんですが、もしかしたらこの頃って、彼の思ったような完成度には作品が仕上げられない境遇にあったのかもしれない。とはいえテレビ版「ショウマスト…」も「振り返れば」も熱狂的なファンがいる。
さて、劇中劇の忠臣蔵は「ブラボー忠臣蔵」というアバンギャルドなものにアレンジされてる設定なので、それがツッコミどころの免罪符になっており、もう自由でいいわけでして、忠臣蔵であって無いような感じになっておりました。 さて、肝心な劇中劇の忠臣蔵ですが、「ブラボー忠臣蔵」というアバンギャルドなものにアレンジされてる設定なので、それがツッコミどころの免罪符になっており、もう自由でいいわけでして、忠臣蔵であって無いような感じになっておりました。この本を書くに当たって、三谷幸喜はあらためて忠臣蔵を研究するようなことはしてないんじゃないかと思います。
取り上げてくれたことがまずうれしいのでなんでもアリですわい。

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