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ショウ マスト ゴー オン 幕をおろすな

サイズ変更なし, 2009年7月5日 (日) 13:55
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さて、テレビ版は劇中劇の「マクベス」をお茶の間向きに「忠臣蔵」に変えており、そのことがとりもなおさず、本コーナーで作品を取り上げようと思ったキッカケでもありますが、メインである「老役者をバックアップする」というプロットは無くなって、純粋に舞台裏で起こるアクシデントだけに的を絞って簡潔に整理して構成しなおされてます。それでもてんやわんやのストーリーはおもしろいのですが、このドラマの監督(演出家?)さんがあんまりテンポがよくない。用意されたギャグシーンは秀逸なのに、それらがテンポよくつなぎ合わされていない。また登場人物の個性も変わってしまっており、たとえば無愛想なキャラクターは単に怖い人になってて笑いの要素が一切消えてしまってていろいろともったいない。このころの三谷幸喜がドラマ脚本に慣れてなかったのか、監督の腕がないのか、さて、テレビ版は劇中劇の「マクベス」をお茶の間向きに「忠臣蔵」に変えており、そのことがとりもなおさず、本コーナーで作品を取り上げようと思ったキッカケでもありますが、メインである「老役者をバックアップする」というプロットは無くなって、純粋に舞台裏で起こるアクシデントだけに的を絞って簡潔に整理して構成しなおされてます。それでもてんやわんやのストーリーはおもしろいのですが、このドラマの監督(演出家?)さんがあんまりテンポがよくない。用意されたギャグシーンは秀逸なのに、それらがテンポよくつなぎ合わされていない。また登場人物の個性も変わってしまっており、たとえば無愛想なキャラクターは単に怖い人になってて笑いの要素が一切消えてしまってていろいろともったいない。このころの三谷幸喜がテレビ用の脚本に慣れてなかったのか、監督の腕がないのか、'''すごくしろうと臭い'''(好感は持てるけど)出来であります。あと、どういう事情なのか、びっくりするほど(じゃっかんイラッとするほど)美人がいないというのも特筆すべき特徴。(補足:コレ執筆後、古くからの三谷ファンにうかがったら、このドラマは当時の劇団員で出演者が構成されており、イコール舞台同様「美人がいない」という暗黙のお約束みたいなものだそうで、見る側にあるていど心構えがいるそうです)。
舞台版を見ると「ああ、三谷幸喜ってもうこの頃ですでに完成してるんだなあ」と感心ちゃうのに、テレビ版を見ると「ああ、三谷幸喜って若いころはまだこんな感じだったんだあ」と、感想がかなり変わっちゃう。

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