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假名手本忠臣蔵’61/義士始末記’62

201 バイト追加, 2020年3月19日 (木) 11:15
編集の要約なし
さらに、オリジナル「大忠臣蔵」(以下オリジナル)は、七段目部分にしか三味線や義太夫が入らなかったが、今回はチョボが随所に散りばめられている。例えば大石内蔵助が城を去る時も、オリジナルでは静かな劇伴がかかっていたのが、改訂版では「〽血に染まる切っ先を打ち守り打ち守り…」と、かかるのであります。
そうそう。それで言うと、オープニングも、オリジナルでは切り絵の背景にスタッフ&キャストの名前がテーマ曲に乗せて入るのだったが、改訂版は音も画も人形浄瑠璃の「仮名手本」の三段目。オーバーラップして北上弥太郎(浅野内匠頭)のアップになる。(撮り直したのか未使用なのかは不明)そうそう。それで言うと、オープニングも、オリジナルでは切り絵の背景にスタッフ&キャストの名前がテーマ曲に乗せて入るのだったが、改訂版は音も画も人形浄瑠璃の「仮名手本」の三段目。オーバーラップして北上弥太郎(浅野内匠頭)のアップになる。(この、顔のアップはオリジナルに無く<small>(要確認)</small>、撮り直したのか未使用なのかは不明)
この再編集によって、オリジナル版よりも本作のほうが映画として、原作の仮名手本忠臣蔵を手軽に楽しめる感じになっているのかなと思いました。
註01…「忠臣蔵 五巻」の「假名手本忠臣蔵」の配役の項目に誤記。山村聡は林大学頭ではなく柳沢吉保であります。ていうか、出てない。(その配役は以下の作品についてである)
註02…これを信じてしまっていたので、上映館に赴いた時、タイトルだけしか違わないならマックに寄って途中から観ようかなと思ったが、劇場周辺に店が見つからなくて頭から観られたので事なきを得た。註02…おそらく当て推量で書かれたこの記述を信じてしまっていたので、上映館に赴いた折、タイトルだけしか違わないならマックに寄って途中から観ようかなと思ったが、劇場周辺に店が見つからなくて頭から観られたので、事なきを得た。
<附言>
ちなみにこの「假名手本忠臣蔵 前編」「後篇 前篇」「後篇 義士始末記」という表記については、公開当時のポスターに準じております。
おかつをほんとうの姉と慕っていた[[間新六郎|新六]]は、胸に秘めた討ち入りのハナシを姉にすることも出来ず「卑怯な腰抜け侍」と軽蔑され、姉弟の縁を切られてしまう。
(これに、ついでのように、別シーンで川津祐介([[中村勘助]])と岩下志麻(おしま)の仲のいいところも挟まれるが、ストーリーラインに関係ない。売り出したい若手をグイグイ入れてる。でもポスターで岡田と岩下は同格みたいな扱いでレイアウトされている。)と岩下志麻(おしま)の仲のいいところもアクセントとして挟まれるが、ストーリーラインに関係ない。売り出したい若手をグイグイ入れてる。でもポスターで岡田と岩下は同格みたいな扱いでレイアウトされている。<small>註01</small>)
で、討ち入りはあって、世間は大盛り上がり。おかつは自分の浅はかさを悔やむ。で、討ち入りはあって、世間は大盛り上がり。おかつは弟新六の参加を知ると自分の浅はかさを悔やむ。
助命嘆願に大勢が大名屋敷に押し寄せたり、佐々十郎と芦屋小雁の巡礼の僧侶や、芦屋雁之助や大村崑のかご屋が、通りがかりの神社の団体と、たまたま居合わせた荻生徂徠のそっくりさんを崇め奉ってみんなで赤穂義士の無事をお祈りするというような怪現象までおこる始末(<書いていてわけわからなくなってきたが、ともかくこのシーン、そこそこタップリある)。助命嘆願に大勢が大名屋敷に押しかけたり(学生運動のようなモブ)、佐々十郎と芦屋小雁の巡礼の僧侶や、芦屋雁之助や大村崑のかご屋が、通りがかりの神社の団体と、たまたま居合わせた荻生徂徠のそっくりさんを崇め奉ってみんなで赤穂義士の無事をお祈りするというような怪現象までおこる始末(<書いていてわけわからなくなってきたが、ともかくこのシーン、そこそこタップリある)。
ネタバレしますが
竹田出雲が後日談を書くならこうだろうな、とかそういう趣旨でもない。
当時の超人気テレビ番組のコメディアン(石井均や藤田まことの瓦版屋も出るよ)の入れ方や、岡田茉莉子の踊りのシーンの尺から言っても、この作品自体が軸足をどこにもおいてないのがお分かりいただけるかなと思う。当時の超人気テレビ番組のコメディアン(石井均や藤田まことの瓦版屋も出るよ)の入れ方や、岡田茉莉子の踊りのシーンの尺から言っても、この作品自体の軸足の曖昧さがお分かりいただけるかなと思う。
なんで作ったんだろう。

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