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元禄忠臣蔵

サイズ変更なし, 2008年9月8日 (月) 00:24
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イベント中の刃傷事件に右往左往する江戸城から始まる。
それから田村邸>赤穂城に使者>大石内蔵助邸>最後の評定>内蔵助の決心>(第2部)撞木町>仇討ちを後押ししたい徳川綱豊卿(ポスト[[徳川綱吉|綱吉]])>南部坂の別れ>(第3部)吉良邸裏門(もう討ち入りはすんでる)>泉岳寺>大石最後の一日)>南部坂の別れ>(第3部)吉良邸裏門(もう討ち入りはすんでる)>泉岳寺>自首>大石最後の一日
この昭和初期の構成ですでに[[多門伝八郎]]が一生懸命[[浅野内匠頭|浅野]]をかばうとか、庭先の[[片岡源五右衛門]]を気づかせる為に月を話題にするとか、[[大野九郎兵衛]]はステレオタイプの悪役ではない等々、以降の映画やドラマで見るいろんなシーンのおなじみのエッセンスがそこかしこに見受けられる。
 
これをはじめて見た昭和の人達はさぞかし斬新に思っただろうなあ。「へえ、ホントはそうなんだぁ」と。とはいえ、この物語はまず最初に「大石最後の一日」が作られたそうで、あとから7年がかりでこのリアル版(当時としては)忠臣蔵は完成したそうです。
内蔵助の本心をわかりやすくするために(?)[[井関徳兵衛]]という浪人を登場させている。城明け渡しの夜、徳兵衛は落胆して割腹。虫の息の彼に本心を告げると悔しそうに城を去る。このときの吉右衛門良かった〜。
おもしろおかしく大胆にフィクションを入れた[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]と、本作品が混ざって、今われわれが映画やドラマで見る「忠臣蔵」が出来てるんですなあ。
真山青果作
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|2006]]

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