小野寺十内
小野寺十内【おのでら じゅうない】…京都勤務。愛妻家の老年参謀キャラ。大石内蔵助派。
学識もあるし和歌も達者とまさに文武両道ともに長けている。
寛文3年3月(1663)江戸。浅野家の近習二人が殿様の馬で飛鳥山に花見に出かけると、酔っぱらった職人が投げた瓦器(かわらけ)が馬の顔にあたってしまう。馬が大暴れするので花見客がみんな逃げてしまった。この様を見て怒ったすごい美人(16歳くらい)が、謝らないで立ち去ろうとする近習ふたりを投げ飛ばし、下女とともに馬に乗り去っていってしまう。
聞き込み捜査の末、娘の個人情報をゲットした二人は馬役の植村藤右衛門に相談。植村は二人とともに美人のいる屋敷に詫びに行く。
この美人は溝口家の家来・古川主馬の娘でお丹といい、謝罪に行った先で植村はすっかりお丹に一目惚れしてしまう。
恋わずらいに伏せった植村を心配した十内はキューピットを買って出て、そもそも馬術の師匠として面識のあった古川のもとへ植村を売り込みに行く。
「植村はいいやつです!まぁ男っぷりはよくないが、でも正直一方でして、馬術は…うまくございませんが、学問は…論語が読めますがワケはわかりません。剣法は筋が悪いんだけど…」てなことをいってると、お丹はきっぱり植村より十内のほうが好きだとまさかの告白。思わぬ飛び火に驚くが十内もまんざらじゃないので受諾。十内とお丹はめでたく結婚する。
若鮎や釣らぬ柳にはねてゆき…
(講談)
40歳のころ京都留守居役になる。お丹とはもっぱら敷島でデート。
学者・伊藤仁斎の門弟となって学問をした。
子供がいないので大高源五の弟・小野寺幸右衛門を養子にもらう。
元禄十四年、主家断絶の時いくさになるという評判を聞いて息子・幸右衛門とともに「籠城はよくない」と主張しに赤穂へ。
城明け渡し後は妻・お丹とともに京都今出川に住み、和歌を詠んで閑日月を送る。
元禄十五年十月、お家再興の望みが絶えて大石が江戸へ下るときに「神文返し」作戦をアドバイス。一緒に出府する際、お丹に計略のすべてを打ち明け京都を去る。
江戸に下ったあと十内は手習いの師匠をして時のいたるを待った。
討ち入りの時は裏門係。不破の次に活躍したとも言われる。土屋さんちに向かって塀越しに大声でご挨拶。
討ち入りの翌年、十内が妻・お丹に仇討ちの様などを幽閉先から手紙でよこし続けた。夫婦間の手紙のやりとりは「涙襟集(るいきんしゅう)」という本になるほどの量だったとか。
討ち入りの参謀としては重要な役回りだがドラマによって扱いが違う。
「おんなたちの忠臣蔵」では夫婦仲のいいところがクローズアップされ、奥さんのお丹(杉村春子)が十内(山村聡)の四十九日の法要のあと自害するシーンがえがかれ、辞世を紹介してドラマを締めくくっている。
「松方弘樹版・大忠臣蔵」では夫婦のキスシーンもある。
「花よりもなほ」では原田芳雄が演じ、貧乏長屋に医者になって潜んでいた。
享年61。