中村勘助

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東京漫画出版「忠臣蔵文庫 中村勘助」より
義士四十七士帖より

中村勘助【なかむら かんすけ】…潮田とともに大石の部下。

祐筆頭(ゆうひつがしら:)で、仕事柄か俳句などもたしなんだ。


 若いころ、叔父の間瀬久太夫が病気の折、見舞いに行った帰りに雪が降り、道に迷って難儀しているときに助けてくれた百姓家でじいさんがサビだらけの小刀(わきざし)をナタの代わりにして薪を切ってたが、あんまりよく切れるので冗談半分に一分で買いもとめる。サビを取ってみるとこれが名刀正宗。研ぎ師が「いい買い物しましたねー!40〜50両になりますよ!」と言ったが「商人じゃあるまいしそんなことをすりゃ我が武士道が立たん!」と百姓の家に返しに行くと「ワシはこれを売って一分というカネを取ったんでございますから、もうワシのじゃござんせん」と受け取らない。押し問答してるところへケンカと思って飛び込んできた名主(なぬし)が仲裁。いったん正宗を預かり、この正直者たちの話を赤穂城中で話すと百姓のじいさんは実は真田の一族とわかり、名刀が出たから三人扶持で召し抱えられ、小刀は内匠頭が買い取り、勘助は二十人扶持で士分に取り立てられました。(講談より なんだか話が落語の「三方一両損」「井戸の茶碗」「陸奥間違い」…)


 倒産後、深川で吉田忠左衛門の店にブラブラ潜伏中、大家の九兵衛が「こないだ勘助さんが扇子にラクガキしてるのを見たらいい手だな。」と言って扇子売りの開業(つっても自分で売り歩くんだが)をあっせんしてくれる。

吉良家出入りの小間物屋と仲良くなり吉良家侵入に成功するものの、メモばかり取ってるところを仲間(ちゅうげん)丑松たちに怪しまれ、左右田孫兵衛のところへ連れて行かれそうになるが、小頭の兄貴分・忠吉が「屋敷の中にも入れねえのに庭先や玄関をメモったからって仔細はねえ」と助けてくれる。勘助はお礼に発句した扇子をプレゼント。

やさしい忠吉は討ち入りのあと芸州へ再就職。中村勘助の扇子があったおかげで(義士にいいことをしたということで?)出世もいたしました。

ものすごく似た話が近松勘六にあって、助けてくれた吉良家の警備は丈助という。


家族が心配なので討ち入りが近いのに奥州(岩手県)の自分が生まれた白川藩に家族を預けに行った。と、いう逸話がある一方で、討ち入り後長男は流罪になっちゃって家綱の二十七回忌法事の特赦までおつとめしたという説もある。後者がほんとらしい。


江戸ネーム山彦嘉兵衛。


享年46。